上海市の北部に地下鉄8号線の魯迅公園駅がある。そこで下りて魯迅公園に入ると、中国の近代化に貢献した文学者魯迅の記念館がある。私が長安大学に赴任した翌年に『魯迅記念館』を訪れた。魯迅にまつわる多数の記念品が展示されているが、彼の業績の解説は中国語で書かれているので、私には理解できなかったのが残念である。しかし、とあるコーナーで八文字の口髭をはやした日本人男性のポートレートを発見した。裏面に、
――惜別 藤野 謹呈 周君
とある。この人こそ、魯迅(周樹人)が日本へ留学したときに、仙台医専(後の東北大学医学部)で彼を指導した藤野厳九郎である。藤野先生は漢文の素養があり、多大の文化的恩恵を与えてくれた中国への感謝の気持ちがあり、その恩返しの気持ちから、清国の再建のために留学してきた魯迅を温かく指導したといわれている。しかし、魯迅は身体を治す医者より、中国人の心の改造を目指して文学者へ転身するために、二年で仙台を去ってしまった。別れに際して藤野先生が魯迅に贈呈したのが上の写真であり、裏面には言葉少ないながら先生の魯迅への熱い思いが毛筆でしたためられている。そして、魯迅もこの師の薫陶への感謝の気持ちを終生忘れず、写真を身近において励みとしたという。
中国文学といえば、私は李白・杜甫・王維・杜牧らの漢詩が好きで、その創作現場を訪ね歩いたことがある。また、散文では、吉川三国志、司馬遷の史記、曾先之の十八史略に親しんできたが、近現代の作家では魯迅しか知らない。彼の代表作『阿Q正伝』は世界文学全集に載っているので、学生時代に読んだ記憶があるが、印象に残っていない。
中国に来てから、自伝的小説『故郷』を読んで彼の思想の原点を知った。魯迅は、自ら属する地主階級が人間の自立と成長を抑圧して、近代化を妨げる悪であることを訴えている。魯迅は、革命政治家毛沢東に対して、文学を通じて社会改革を実践した偉人であると思う。
魯迅記念館を訪れてから数ヵ月後に、小泉首相の靖国参拝に対する反日デモが吹き荒れることになった。日中関係不穏なときであるからこそ、あの藤野先生の写真の重みが我が胸に迫ってくるのだ。私も藤野先生の思いに倣って、中国の若者に接したいと決意した。
なお、上海の虹口地区にはかつて日本人が多数住んでおり、その一角に「内山書店」があった。その店長の内山は、日本の憲兵や国民党の追求から魯迅を匿った。そして、肺病が悪化した魯迅のために、日本の温泉で療養することを勧めたが、魯迅は、「同士が危険な中で戦っているときに、自分だけ楽をすることはできない」と断ったそうだ。
魯迅に尽くした日本人として内山も忘れることができない。
2016年2月、私は芦原温泉に一泊旅行した。
そこで思いがけなくも、「藤野厳九郎記念館」のあることを知って、見学した。下がその写真である。
案内のパンフレットに有名な魯迅著「藤野先生」の一部が掲載されていたので、以下に示す。
――私が自分の師として仰ぐ人のなかで、彼はもっとも私を感動させ、私を励ましてくれたひとりである。(中略)彼の性格は、私の眼中において、また心裡において、偉大である。(中略)ただ彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで灯火のなかに、彼の黒い、やせた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまちまた私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。そこでタバコに一本火をつけて、再び「正人君子」の連中に深く憎まれる文字を書きつづけるのである。
(魯迅著「藤野先生」竹内好訳 抜粋)