1 常春の国 昆明市

情けは人の為ならず 

 上海理工大学を一年で辞めたとき、

ーー年齢制限の厳しい中国で日本語教師としての就職はもう無理なのだろう、いよいよ老後の生き甲斐を求める我が旅路も終わりか。

と諦めざるを得なかった。しかし、私はまだ健康には自信があり、教師の仕事を続けたいとの思い断ちがたく、それでは他の国で就職できないかと考えた。そこでインターネットの求人情報を頼りに、ベトナム、タイ、エジプト、メキシコ、はては極北の地アイスランドの大学にまで履歴書を送った。

アイスランド大学の採用条件には、『日本語教育関係の修士以上者』とある。これもよくあることで、私は大抵これで門前払いを食っていた。しかし私はそれでも問い合わせた。

「中国の大学で日本語教師としての経験が豊富です。理科系の博士なので専門は異なりますが、日本語教育関係の修士以上者に準じた扱いで、採用していただけないでしょうか」 

 それに対して、採用の優先順位は低いが、候補者として受け入れるから履歴書を送ることと、Youtubeなどで授業風景を送ってください、と返事がきた。

 ――動画はByte数が大きくて、とてもメールに添付して送付することなど不可ではないのか?

そう私は思った。その頃はまだ上海理工大学で教えていたので、2年生の会話授業の合間にパソコンに詳しいT君に訊いてみた。彼は即座にこう教えてくれた。

Youtubeは動画を仲間同士で送り合って楽しむ方法として世界に普及しています。ただし、中国では国が海外情報を国民に知らせない方針なので、見たり送ったりすることができないのです」

「それなら、大学の情報通信の部署へ行って、別の送信方法があるか訊いてみようかな」

「いえ、先生お任せください!」 

と、T君が自信ありげな様子でいった。彼は禁止の網をかいくぐることなど自由自在に出来るコンピュータキッズであった。さっそく、彼は授業風景をカメラで撮影し、15分ほどに編集して、Youtubeにアップロードしてくれた。

IT技術の進歩はすごいものだし、T君のようなパソコン技術に長けた若者はそれを有効に活用することができる。そして、彼にかかったら、政府の情報管理政策もかたなしである。

私は生まれて初めて自分の授業風景を見ることになったが、年相応の我が姿をみて、「オレもやっぱり老人になったのだ」とちょっと失望した。だが、年寄りにしては、まだまだ元気溌剌としているじゃないか、そんな私を評価してほしいと、履歴書をメールで送った。

教え子朱茜が雲南へ呼ぶ

 しかし結局、T君の尽力にも関わらず、アイスランド大学には採用されなかった。もっと若くて、日本語教育の大学院卒の日本人教師がいらっしゃったのだろう。そして、他国の求人先からも断られ続けた。いよいよもう私を採用してくれるような大学は世界中のどこにも無い、と諦めて帰国した。

 

その年の夏を日本で過ごしているうちに秋を迎えた。江西師範大時代の教え子で雲南師範大学院生の朱茜さんからメールが来た。

――先生、お久しぶりです。先生はまだ就職が決まっていないそうですね。じつは、私の大学で来年度、日本語教師の欠員がでます。私が日本語科教授の範先生に頼んであげますから、昆明にきてください!

朱さんは、私と学生とのトラブル事件で、問題解決に重要な役割を果たした心優しい学生である(DIDEST 我が半生 第四部中国編2 27話を参照)。

教え子が私の就職のことにまで心配してくれているとは、何と幸せなことだろう。これも師範大で一生懸命にお世話したことを学生が忘れないでいてくれたからだろう。

――情けは人の為ならず。

私は、この言葉の意味をこれほど深く理解したことは無かった。

範先生に履歴書を送り、この大学への採用に期待をしながら待ち続けた。2012年が明けてから、返事がきた。

――JICAシニア海外ボランティアから日本人教師が派遣されることになったので、あなたを採用できません。しかし、私の知人の大学に紹介しましょうか。

普通なら非採用の連絡でお仕舞いなのに、範先生はわざわざ他大学を紹介してくださったのだ。それが『雲南大学滇池学院』であった。もし、9月の新年度から採用されれば、私は69歳になる。採用にあたり、精密な健康診断書と、

――万が一の不測の事態が発生しても、自己責任で処理し、大学にはご迷惑をおかけいたしません。

という誓約書も提出した。例年以上に手厚い海外傷害保険にも加入して、万が一に備えることも伝えた。そして、ようやく採用が決まった。

こうして、日本語教師の私は、中国で西安市の長安大学を振り出しに、無錫、南昌、上海につづいて5番目の昆明の大学で8年目の教職に就くことになる。

 

雲南大学滇池学院では、会話と論文のための作文、日本文学鑑賞、日本文学簡史の4科目を担当するようにとの指示である。『日本文学簡史』はこれまで担当したことのない科目だったので、春より夏にかけて大津市の図書館に毎日通い、念入りに準備をした。日本ではYoutubeが自由に見ることができる。芥川龍之介の短編小説や川端康成の『伊豆の踊子』の動画をダウンロードして教材に使うことにした。

 

 

 

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