4 反日デモと余波

中国の「尖閣諸島の国有化」反対デモ

  8月末に赴任してまもなく、日本政府が尖閣諸島を国有化したことがきっかけとなって、激しい反日デモが中国全土を席巻し、昆明でもデモが行われた。大学当局は、日本人教師に危害が及ばないように配慮して、私にこう指示した。

「宿舎と大学との往復にとどめて、繁華街へは行かないように。もし、やむを得ざる事情で街へでるときには、必ず中国人同伴のこと」

 若者を中心とする中国人は、日帝の侵略戦争に関する歴史教育や、中国侵略に対して英雄的に戦った共産軍の映画などの影響から、日本人を嫌悪する感情があるようだ。それに、中国政府の限られた情報などによって、現代の平和を愛好する日本人に対する理解が不足している。中国各地で激しい反日デモが吹き荒れている時に、さて、日本ではどうなっているのだろうか。日本の大学院へ留学している数人の教え子の安否が気懸かりであった。その一人、広島大学院にいる陳にスカイプ通信で訊いてみた。すると、彼女は、

「私の研究室の日本人たちは私たち中国人留学生に対して常日頃と変わりありません。キャンパス内でも反中国感情はないので、ご安心ください」

 と、拍子抜けするほどの返事だった。安心すると共に、両国の若者の政治に関する意識は驚くほど違う。日本人の若者が冷静で健全なのは喜ぶべきことかもしれないが、同時にそれは、ノンポリで個人的興味だけに内向している現代の若者の姿でもある。

中国でも日本語科の学生は、日本人教師に対して友好的であることは既述した。しかし、尖閣諸島のように両国の利害が真っ向から対立している問題では、日本人教師が不用意に日本の立場を擁護するような発言をすれば、日本語科の学生からも反感を買う恐れがあり、それでは授業に支障をきたす。私は、政治問題には沈黙せざるを得なかった。

それでも、中国の歴史や文化に魅せられて十年ちかくも中国へ来ている私の気持を、日本語科の学生だけには伝えたいという思いがつのってきたのだ。

反日デモが吹き荒れている最中の授業で、残りの時間を少々つかって4年生に、私の中国への思いを以下のように語った。

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私は一昨年、上海市の大学を最後に、教師生活を終えて日本に帰ることになりました。中国滞在中、若者に日本語を教えながら時々旅行をして、中国の歴史と文化に触れることのできた楽しい思い出ばかりです。これが中国生活の最後だと思ったとき、一つ大切なことを忘れているのに気づきました。それは、日本人が中国仏教から受けた影響です。

私は仏教の一宗派『浄土真宗』を信仰しています。開祖親鸞聖人は師法然上人をつうじて、中国の『浄土教』に連なっているのです。そこで最後の思い出を、中国各地の『浄土教寺院への巡礼』で締めくくることにしました。

 江西省の名山『廬山』にある東林寺のお坊さんは、私が日本からの巡礼であることを知ると、立派な迎賓館に泊めて下さいました。山中で素朴な信仰を守っているこのお寺が巡礼者を温かく迎えてくれる姿に接して、私は感動しました。

つぎに、山西省太原市の浄土教の根本道場である『玄中寺』に巡礼しました。曇鸞道綽善導の遺徳に触れながら、我が浄土真宗のお経を詠唱して、阿弥陀仏――浄土教の仏様です――への祈りを捧げたことは一生の思い出になりました。このように、中国は宗教の面でも、日本に大きな貢献をしていること、また現代日本人が中国から伝来した仏教を今も信仰していることを、皆さん知ってください。

さて、太原駅に戻って、その日のホテルを探すことになりました。ある観光案内の男から不当な金を要求されて、私と同伴の学生との間にトラブルが発生しました。言い争っているうちに、その男の仲間が私たちを取り囲んだので、恐くなってすぐに警察を呼ぶことにしました。警察が来るのを待っている間、面白いことに、男は逃げる様子を見せないので、それほど悪いヤツではなさそうです。ほどなくやって来た警察官の判断は、「日本人のあなたが正しいから金を払う必要はない」で、一件落着です。

私は中国の人々とは友好的につきあいたいといつも思っていますから、その時も、男と握手して別れようと手をさしだしました。すると、彼は「オレは日本人が大嫌いだ!」と怒鳴って去っていったのです。これが、中国で経験した唯一の嫌な思い出です。

ホテルの部屋に落ち着いてから、私は先ほどのことを思い出しながら学生に言いました。

「昔、石炭の町太原には日本軍が進軍したことがあるそうだ。もしかしたら、あの男の父母が日本軍のために辛い思いをしたのかもしれないね。それを父母から聞いていたから、彼は日本人の私を憎んでいるのだろうか?」

「じつは私も」と、学生がいいました。「祖母から『子供のときに日本軍が町にきて、恐い思いをしたことがある』と、聞いたことがあります」

私は第二次世界大戦中に生まれました。終戦のときに2歳だったので、戦争のことは全くしりません。中国の民衆は、地方へ行けばいくほど純朴で温かく私を迎えてくれます。しかし、中国各地にはいまだに日本軍の侵略の傷跡が残っていることを、私は知らなければなりません。

今回、2度と来ることができないと諦めていた中国で、再び教師として皆さんにお会いできる幸運を得ました。私がそのことをどれほど幸せに思っているかは、皆さんには想像できないでしょう。雲南省に来たとたんに、尖閣諸島――中国では釣魚島と呼ばれていますね――の問題で大荒れです。上海では日本人が暴徒に襲われたそうです。

幸い私には何事もおこらないし、日本語科の皆さんは私を快く受け容れてくれているようで、とても嬉しいですよ。中日のもめごとで反日感情が吹き荒れていても、好きな中国で皆さんたち若者と共に生活したいと思う気持は、少しも変わっていません。おそらく、いま中国にいるたくさんの日本人教師も私と同じ思いでいることでしょう。そんな日本人がいることを、皆さん、知っておいてくださいね。では、今日の授業はこれで終わりにしましょう。

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私は、政治家でもなければ、外交官でもないので、政府の代弁をする義理はない。また、たとえ学生に日本の立場を説明したところで、現下の情勢では理解してもらえる余地はないだろう。だから、私が学生に伝えることのできるのは、以上のような些細なことになっているのだ。

店前にある反日的釣魚島の垂れ幕
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 反日デモが収まった11月下旬に、私は学生と雲南省随一の観光地『麗江古城』へ旅行した。古城を見下ろす高台のホテルで旅装を解いたあと、我々はさっそく古城(麗江旧市街)を散策した。迷路のように錯綜した狭い道の両脇には土産物屋やレストランが建ち並んでいる。とある飲食店の前に来ると、赤の横断幕があり、白抜きで中国語の簡体字が書かれてあった。その意味は「日本人は釣魚島より出て行け」である。わたしが立ち停まると、学生が気遣って「先生、気にしないでください。早く行きましょう」と先を促した。私は笑いながら、横断幕を写真に撮った。こんな店に日本人観光客は寄りつかないので売り上げに悪影響がでないのか、あるいは、中国人が喜んで入るので大繁盛?――それにしては、店内に客は誰もいなかった。老板(店長)が愛国主義者なら赦してやろうか。

中国学生の「侮日」プレート

 旅行から帰った翌日、自転車置き場へ行くと、オートバイのナンバープレートに反日の文字が日本語で刻まれていた。

――日本人と犬 接近禁止。

この大学にも嫌日家がいるらしい。しかもその反日プレートは手製ではなく、商品として売られているものらしい。

かつて、上海のフランス租界地の公園に「シナ人と犬 立ち入るべからず」と書いた標識があったそうだ。大国の自信を取り戻した現代中国人の一部が、白人から受けた侮蔑を意趣返しに日本人に向けているのだろう。現代中国製品は先進国の製品を安直にコピーしたものが多いそうだが、ナンバープレートにある下品な物真似からは中国人の知性が感じられない。偏狭な思想の民族主義者はどこの国にもいるのだろう。わたしは笑いながらこれも記念として写真に収めたが、日本語科の学生にこんなヤツはいないはず。

 

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