流氷は黒竜江でできたものか?
我が故郷「網走」は、2月に海岸一帯が流氷で埋め尽くされる頃、しばれる(注)。この時期、漁船は漁に出られず、港はひっそりと静まりかえるし、網走市民は厳冬のなか息をひそめるように耐え忍び、3、4月の春の訪れをひたすら待ち望んでいた。
(注)「しばれる」とは<きびしく冷え込む>という東北・北海道の方言。
冒頭のタイトルを<黒竜江からの贈り物>としたが、その贈り物とは、有り難くない「流氷」のことである。
流氷は、遙かなる北満州の彼方、中国とロシアの国境を流れる黒竜江(ロシア名「アムール川」)の水が冬に凍結して生成し、海に押し出されてオホーツク海を漂いながら、遥々網走まで流れて来るという俗説があった。
まず、黒竜江の地図を下にしめした。
黒竜江は、モンゴルとロシアを流れるシルカ河とアルグン河が合流した地点からはじまり、間宮海峡への河口までをいう。
その長さは、上流のシルカ河を加えると4,350kmにおよび、中国では「長江」と「黄河」に次いで3番目、世界中では8番目の大河である。日本で最も長い信濃川とは比べ物にならないほど長大であることが明らかである。
このように黒竜江は大河であるが、厳冬の最盛期にはオホーツク海は広大な海面の7割も氷で埋め尽くされるといわれている。だから、
――これほど大量の氷が、一本の川の氷だけで生成されるものだろうか?
との疑問が私にあった。
しかし、この俗説を支持するもっともらしい理由が、海水の性質についてある。塩分を含む海水は真水とは違い、たやすく凍結しないものである。すなわち、下図A(太平洋)のように、冷気で冷やされた海水は比重が重くなって下に沈み、下から海水が浮上する。つまり<対流>により海水は凍結する温度にまでなかなか低下しない(そのうちに春がきて海が凍ることはない)。
とすると、やはり流氷は黒竜江の氷によるものか?
結論を先にしめすと、オホーツク海の特殊事情により、海水が凍るのだ。だから、<流氷>は黒竜江(アムール川)の水が凍結して形成されたものではない。
理由1:黒竜江から吐き出された真水がオホーツク海の塩分濃度を下げる。その低塩分水は上層に留まり、下層の高塩分濃度の海水とまざらず、二層構造を形成している。よって、限られた上層だけに対流がおこるので、やがて凍結する。(上図B)
理由2:オホーツク海は北西側が大陸、南東側がカムチャッカ半島と千島列島に遮られた独立した水域(いわば溜池)になっている。だから、その海水は北太平洋の海水と混合することなく、海水の表面層は低塩分濃度が維持されている。(上図B、C)
理由3:そこへ、冬季にシベリアからの大寒気が猛威をふるう。冬期の大気は-40℃で、南極大陸周辺とかわらぬ猛烈な寒さで海水を冷却して氷を生成させる。(上図C)
この様な海が凍るという現象は、世界の他の海では発生しない稀な現象だという。
網走への流氷の到来日記
約70年ほど前に網走に住んでいた少年の私は、「流氷」とは市民生活に何の役にもたたない、むしろ忌み嫌うべき「白い悪魔」と思っていた。しかし、現代はこの流氷を観光事業に活用するようになった。2月には「網走流氷祭り」があって、多数の観光客がやってきて、砕氷観光船で流氷を見物するという。
いつ流氷が網走海岸に接岸するのかが、インターネットで紹介されている。流氷サイト(http://www.noah.ne.jp/ice/rh/RH.html)より
下の図で、2018年の1、2、3月の中から、雲の少ない日を選んで流氷情報を見てみよう。1月はじめには樺太東岸にまで流氷が来ている。そして2月になるとオホーツク沿岸に流氷が接岸する。しかし、3月下旬になると流氷は海岸を遠く離れて後退する。おそらく、春の訪れと共にオホーツク海の流氷は消滅するのであろう。
流氷が来る冬の季節、下の写真にあるように網走港から流氷見物船が就航しており、約一時間の流氷見物のクルージングが楽しめるという。氷上は
-10℃程度の寒さだというが、ハルビンの氷雪祭りではカメラも凍って使い物にならないほどの寒さなので、それと較べたら流氷見物はむしろ暖かいと思うべきだろう。だだし、流氷は気まぐれで、風向きによってはまったく海岸から消え去ってしまうことがあるようだ。
むすび
2018年の7月に、私は12年間の中国生活の最後を飾るために、「黒竜江」の港街「黒河市」を訊ねた。厳冬期の荒涼たる風景を想像させる物はなかったが、この大河が、我が故郷「網走」にまで押し寄せる流氷と如何なる関係があるのか、と思いつづけた。
なるほど黒竜江の酷寒の冬に形成された氷が流氷となって遥々と網走海岸にまで漂ってきたというロマンチックな俗説は、今回の調査で否定された。しかし、その河水が主因でオホーツクの海水を凍結させて流氷になったのだから、やはり黒竜江と網走の関係は奇縁というべきだろう。 (了)
<参考資料>
つぎーー>