日本語科スピーチコンテストで1、2位になった石(男子)と馬(女子)は、『第一回中華全国日本語弁論大会、西北地区予選大会』(西安市で開催)に我が校の代表として出場することになった。
二人の発表の草稿と発表に関わるすべての指導を私が主に担当することになった。二人が書き上げた原案は、この年のテーマの趣旨に沿って、日中の友好を謳いあげており、よくできていると思う。ただし、石の発表の結びにこうあった。
――日本が侵略戦争の誤りを反省し、我が国へ率直に詫びる態度さえ示せば、私は快く日本を許したい。そして、日本語科の学生として中日友好に尽力したいと思っています。
わたしには、「侵略の誤りを反省し、詫びる態度さえ示せば」に違和感があった。
日本の歴代政権は保守政党としての限界はあるものの、侵略を事実上認め、政府など関係者が都合20回程度中国などに謝罪を表明してきた。そして、自由民主党との連立政権を組んだ社会党の村山首相は閣議決定を経て、1995年8月15日の終戦記念日に、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」でかなり踏み込んだ形で、いわゆる『村山談話』として知られる声明をした。その中で、中国だけでなく韓国も念頭に入れて「植民地支配と侵略によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪する」と表明している。そして、後の内閣もこの村山談話を踏襲している。これだけ明確な『反省と詫び』をしているのに、なぜ中国人は知らないのか? おそらく中国政府が積極的に国民に知らせようとしないことと、学生もそのことを知ろうとしない(政治的無関心?)からではないのか。
わたしは、この一文だけは石に訂正の助言をすべきであった。が、日中間の高度にデリケートな政治問題に、下手に口出ししたことを中国人教師が知ったら、リアクションがでることを恐れたのだ。というのは、私が赴任してまもない頃、毎週開かれる教師連絡会でこんなことがあった。
何かの話から転じて、楊教務主任がこういった。
「日本政府には中国侵略への反省と詫びる気持ちが足りません」
そのとき私は、村山談話を念頭にいれて楊先生の誤解を解こうとした。だが、楊先生はそれでも納得できないようでこういった。
「そうかもしれませんが、一方で高官が政府見解を否定するような発言もしているじゃありませんか。私たち中国人には、日本人の本心がわからないのです」
わたしには、こう言われるのがつらい!
たしかに、これまで大臣クラスの高官が政府見解を否定する発言をして、辞任するようなことが一度ならずあった。韓国に対しても、
「植民地支配はよくないかもしれないが、インフラ整備などいいこともしてやったのだ」
と、発言している政治家もいるのだ。こんな往生際の悪い保守系政治家の発言がたびたび出てくるようでは、楊先生のように中国や韓国から真の納得と信頼を得ることがむつかしいと思う。
楊教務主任は、「もうこんな話は止めましょう」といって、早々に話題を替えた。彼女が私を日本語科に招聘したのは、不毛の政治談義をするためではない。私も、日本語教育でお役に立ちたいと願っているのだから、この種の議論は二度とすまいと心に決めた。
そんな事情があったので、私は石のスピーチの文言には訂正を要求せず、日本語としての添削をするだけにとどめたのだった。
この種の日中間の政治に関わる誤解に関して、中国にいる日本人教師には様々な意見があるようだ。教師によっては政治に関わることは一切発言しないと決めている人がいる一方で、時と場合によっては、学生との信頼関係をよく見計いながら、誤解を解く努力をしている人もいる。ただし、種々の受け止め方をする不特定多数の学生を前にした授業では、やらない方がいいようだ。誤解されてすぐ教務主任に「日本人教師がけしからぬことを言っている」と告げ口される恐れがあるからだ。