学芸会(中学校、長安大、江西師範大)

演劇コンクール

演劇コンクールで優勝(中学校時代)

 ~~優勝を呼び込んだ値千金のビンタと叫び声~~ 

 

 我が家族が北海道から京都に転居し、私は2年生から加茂川中学校に通学した。北海道と較べて京都の教育レベルは高いはずだが、今から60年以上も前のことで、受験戦争などという言葉もなかった時代で、我が通う公立中学には学園生活を楽しむ雰囲気があった。年中行事である体育祭や文化祭のクラス対抗戦で学内が盛り上がっていた。

 

三年生のとき、我がクラスは演劇コンクールに出場することになった。

手書きの劇の場面
パソコン、Photoshopが無い時代、手書きで劇の一場面を描いた

 【劇のあらすじ】或る中学校で修学旅行が近づいた。主人公マー坊たちは、準備に余念がなかったが、貧しい副主人公源太は行けないようだ。マー坊たちは金を出し合って修学旅行に連れて行こうとしたが、源太が断った。

マー坊たちには、源太の屈折した心情が理解できず、親切の押し売りになっていたのだ。粗暴で僻み根性の源太は反発し、マー坊を殴るなど双方の対立が深まった。

しかし、紆余曲折を経た後に、クラス仲間たちは源太の心情を理解し、源太も学友の善意を受け入れ、クラス全員揃って修学旅行にでかけることになった。こうして劇は終局を迎え、どこからともなく『どこかで春が』の歌声が教室に流れてきて幕が下りる。 

 

 主人公マー坊を私が、荒くれ者の源太をノッポで野球部の選手のK君が演じた。 

 コンクールが近づくと、夜遅くまでハードな練習の毎日が続き、演劇コンクールの日がやってきた。

猛烈なビンタ

我々は講堂一杯にあふれる観客を前に、スポットライトを浴びながら体当たりの演技! 劇の中盤に一つの山場が訪れる。放課後、クラス仲間がくつろいで歓談している教室に、突如、荒くれ者の源太が飛び込んできて、諍いが始まる。激高した源太がマー坊の頬に猛烈なビンタを食らわせた。

 

これは劇の筋書きどおりだったが、源太を演じるK君の遠慮会釈のない張り手一発だった。ビンタの音が講堂に響き、マー坊こと私は、目の前が真っ白になった。 

次の台詞をいう前に「お~お、痛~ッ」と、ついつい叫んでしまった。このビンタのド迫力と私への同情からか、観客席から一斉に溜息が漏れ出る。

K君は、初舞台の緊張と高揚感からか、迫真の演技をやらかしたので、私は大変な被害をこうむることになったのだ。 

 コンクールの結果、我がクラスが学年優勝の栄誉に輝いた。劇のテーマが正統でシリアスなものであったこと、出演者全員の用意周到な準備と熱演、そしてK君のド迫力演技によるものだろう。

 

 優勝すると、全学年の生徒と父兄に向けて更に二回発表することになった。一回目は、今ひとつ気合いが乗らず、演技のあと審査委員から、「今日はだらけていて全然だめだ。そんなことでは困る」と、叱られた。それに発憤して、父兄を前にした二回には必死に頑張った。審査委員の先生から「今度はよかった」と褒められ、我々は小躍りした。この経験から、何度でも撮り直しのできる映画とは違って、舞台劇は一回一回が真剣勝負となる厳しいものがあることを学んだ。

 私は北海道の田舎町から大都会京都に移り住んで、戸惑いとコンプレックスを抱いていた。しかし演劇コンクールをつうじて級友との交流を深めることができた上に、優勝したことが大きな自信となったように思う。

 

 実は、主人公の「マー坊」役は、学業成績、人望ともに私より優れているT室長が演じるものと見られていた。しかし、慎み深い彼は、”目立ちたがり屋”の私に主役を譲った。副主人公源太を”体育会系風貌”のK君が演じたのも適役だった。学業成績よりも、適材適所の配置が大切であることを物語っているのかもしれない。

 

■荒くれ者の源太ことK君への誤解

  私は数十年に亘り、ある誤解をし続けていたことがある。

同窓会で再会

 2000年、京都『しょうざん』で中学三年生の同窓会があり、源太役を演じたK君に再会した。卒業後、銀行に就職したK君は人をそらさない柔和な話しぶりで、私が抱き続けていた彼のイメージ(あの源太のように、少々粗暴で、コワモテ)とは正反対だった。

 K君とはあの演劇で共演するまで、そしてその後もあまり付き合いがなかったために、強烈な源太のイメージがそのまま彼と重なり持続しつづけていたのだ。 

 それにしても、あの本番とお披露目公演、都合三発のビンタを受けた遺恨は、半世紀を経過した今でも忘れられない! 

「お~お、痛~ッ」

 それは、心底から発し、優勝を呼び込んだ、値千金のひと声であった。