西安市の国立大学”長安大学”の日本語科に赴任してはや三ヵ月が経過した頃、日本語科教師連絡会で、楊教務主任がいった。
「日本語科と英語科の合同クリスマス学芸会があります。その余興で森野先生に歌でも歌っていただきたいのですが・・・」
私は日本ではカラオケにときどき行っている。新米教師として自己紹介のつもりで、学生の前で歌うくらいならできるので、軽い気持ちで引き受けた。
クリスマスマ学芸会は外国語学院の年末行事になっているらしいが、この年、発足したばかりの日本語科は初参加なので、日本人教師の私がだれか学生と一緒に歌うだけでいいことになった。私は張春梅とデュエットで“北国の春”を歌うことになった。
彼女は吉林省出身の朝鮮族で、中高校時代に民族学校で六年間の日本語学習歴があるので、日本語の歌を正しい発音で歌うことができるのだ。開催一週間前に『クリスマス学芸会』のプログラムを見た。それには、
――長安大学外語学院、2004年度”聖誕晩会”
と、表紙に仰々しくい書かれている。想像以上に盛大な行事らしい。しかも開催日の二日前にはリハーサルまであるという。私は不安になってきた。
リハーサル会場に出向くと、そこは数百人分の座席があり、正面には立派なステージまで設えてある大講堂だった。当日は満員のホールで、我々はステージに立って歌うことになる。
こんな晴れがましいところで歌うことが事前に分かっていれば、“引き受けはしなかったのに”と後悔したが、後の祭りだった。リハーサルにすぎないのに、私はスポットライトに照らされたステージの中央に立って完全に揚がってしまい、まともに声がでなかった。
それからの二日間というもの、私と張さんは『北国の春』のDVDを何度も聴き、デュエットで歌う練習を夜遅くまでした。こうして、61歳の私と19歳の張さんは、教師と学生の関係を超えて、艱難辛苦を乗り越える同志愛で結ばれていった。以後、同志の彼女を愛称「春さん」と呼ぶことにしよう
いよいよ『聖誕晩会』の当日がきた。春さんに会うと、顔に薄化粧がしてあり、晴れ舞台を前にとても魅力的な女性に変身していた。私がいった。
「もっと口紅を赤くぬったらよかったのに」
大会事務局の女性から化粧をしてもらったが、夕食を食べたのでとれてしまったのだそうだ。19歳の娘が自分の小物入れにリップスティック一本持っていないなんて、何とウブな人だろう。今度、家内が中国に来る時に、彼女のために化粧品を土産に持ってきてもらうことにしよう。
楊教務主任が会場に来て、こう言われた。
「森野先生。準備はできましたか。お歌を楽しみにしておりますよ。頑張ってください!」
そういわれると緊張が高まった。“鬱病の患者”に「頑張ってください」は禁句であり、その一言が病状を悪化させるといわれている。いま私がその症状に陥っているのだ。
私と春さんは、出場者の控え席である前列二番目に座った。彼女が後ろを振り向いて不安そうにいった。
「先生、人がいっぱいです」
確かに、講堂には立ち見席まで人ひとであふれている。外国語学院には女学生が圧倒的に多い。この日、他学院の男子学生がかなり詰めかけており、女子大の学園祭さながら“美女の多い外国語学院の学芸会”を鵜の目鷹の目で見物しようという魂胆らしい。
「あれは人だと思ってはいけない。単なる石だよ!」
こう春さんに言って聞かせたものの、それは私自身への激励だったかもしれない。
ステージの両脇にはクリスマスツリーが飾ってあり、七色の電球が明滅している。背後の大きな幕には「Merry Christmas」とある。日本や欧米と同じで、かつて文化大革命を経験した共産主義国とは思えない中国の大学の現状であった。
7時より開演。プログラムは、1 開会宣言、2 学院長挨拶、3 ストリートダンス(日本でも若者が繁華街の通りでよくやっているような踊り)の後、4番目と比較的はやく私たちの出番となっている。
舞台の裏側へ行って出番を待つ。
手にした小さな紙切れの歌詞を見続けている。春さんがささやいた。
「先生、わたし・・・歌詞を全部忘れてしまいました。私にも見せてください」
私もストレスの極限状態にあるのだから、気丈で頑張り屋の彼女でも、頭の中が真っ白になっているのは仕方の無いことだろう。
二人は薄暗いステージの真ん中に進む。そして、いきなりスポットライトに照らし出されたかと思うと、万雷の拍手とともにバックグラウンド・ミュージックが鳴り響いた。
♪ 白樺~、青ぞ~ら 南か~ぜ
最初の高音部を二人は確実に発声できて、出だしは順調だった。そのうちに、観客席から歌にあわせて手拍子が始まった。二番の前に、歌詞の書いた紙切れを春さんにチラリと見せると、笑いを誘う。
ーー観客を確実に惹きつけている。よし!
こうなれば、こっちのものだ。最前列にいるこわもての学院長の顔に笑みがこぼれ、教師たちの笑顔も視野に捉えた。心に余裕が出てくれば人間なんでもできるもので、“別れてもう五年”では、春さんを突き放した(不意を衝かれた彼女が横にふらふらと数歩)。そして、三番の“たまには酒でも飲んでるだろ~な”では、親指と人差し指でつくった杯をあおぐそぶりも。最後に、彼女を力いっぱい抱き寄せながら歌い終えた。かくして大喝采の中で二人のパフォーマンスは終わった。歌声は私が、そして春さんが可愛い操り人形役という名コンビぶりが受けたようだった。
やれやれ! 二度とこんなことはやりたくないが、今回は彼女と一緒に最高に“青春した”気分である。
観客席に戻ると一時間半の出し物を楽しんだ。ビートの利いた音楽に合わせて踊る男女若者の激しいダンスあり、寸劇あり、女性の漫才あり、民族舞踊あり、英語と朝鮮語の独唱あり、とりわけ柳腰の女学生の演じる“琵琶を抱いた飛天の舞”には見とれてしまった。唐の都の舞姫のようなコスチュームで彼女たちは妖艶に踊った。
総じて、二時間近くの出し物には、共産主義を賛美するような教条主義的傾向は見られず、日本の何処の大学でも見られるような若者文化と中国の伝統文化が、ほどよくブレンドされたものとなっているように思った。
学芸会のあと、春さんを誘って近くのレストランで打ち上げ会をやった。レストランの前に乞食がいたので、無事演技を終えることのできた感謝の気持ちで、少々施しをした。
緊張で夕食もロクに食べていなかったので、羊肉串の味は格別だ。同志の春さんが祝いのビールを一緒に飲んでくれなかったことだけが少々不満だったが・・・。