長安大学日本語科で2年目を迎えた4月の後半に、「第一回日本語科スピーチコンテスト」が開催された。
出場者は、司会を担当する者2名を除いて、学生全員である。あらかじめ発表の内容を暗記して5分間のスピーチをおこなって、優劣を決めることになっている。
1年生は、日本の童話などの朗読で優劣を競う。
2年生は、私が担当している作文授業で書いたものの中から各自選んで発表する。既に私の添削済みの作文だから、日本語としては間違いないはずだ。だから、内容と魅力ある発表態度が優劣の決め手となるだろう。
このコンクールで一、二位になった2年生は、本年からはじまった『中華杯全国日本語スピーチコンテスト』への出場資格が与えられることになっている。
二時間かけたスピーチコンテストが滞りなく完了し、最後に入賞者の発表と表彰式があった。
その後、散会となり、三々五々会場の出口にむかっている学生の中に、王がいた。一年生のときに班長だった彼女は、今は辞めているので、私と会う機会が少なくなっていた。
――おや、彼女は今日、発表をしなかった?
そのことに私は、はじめて気づいたのだ。その日の夜、王を教師宿舎へ呼んだ。
夕食後やってきた彼女は応接間に腰掛けたが、落ち着かない表情であった。私が彼女を呼び寄せた理由を知っているからだろう。コーヒーを淹れて王の前においた。
「今日のスピーチコンテストで、発表しなかったね」
とたんに彼女の表情がこわばり、下をむいてしまった。
「なぜ、発表しなかったのだろうな。授業で作文を何回も書いているから、どれか一つ発表する題材はあったでしょう」
私はしばらく王の言葉を待った。両手でマグカップをつつむように持っている彼女は、ようやく私に顔を向けた。
「わたし・・・・・・吃(ども)りです」
王が小さな声でいった。眉間にしわを寄せている。
まさか、私は驚いた。
「12月のクラスの発表会では、ちゃんとスピーチをしていたじゃないか! それに、1年生のときから、王さんとはいろんな話をしてきたが、一度もドモッたことなどない」
「わたし、・・・子供のときから、大勢の人がいたり、知らない人の前ではドモるんです」
それで、教務主任の許可をえて、発表を免除されたわけだ。コーヒーをすすりながら、こんな時、どうやって慰め、勇気づけたらいいのかを思案していた。ややあって、王の方に体を寄せながら話しかけた。
「先生は、王さんが発表しなかったことを、とても残念に思っているのだよ。あなたは将来日経企業に就職したとき、課長から『王さんのたてた計画をこんどの会議で、日本語で発表しなさい』と言われても、断るつもりかい」
「・・・・・・・」
「会社の製品の宣伝をするために、見知らぬお客さんの前でスピーチをすることもあるだろう。それが怖い、イヤ、といっていたら、王さんは一生逃げてばかりいる人生を送ることになるよ。それでもいいの?」
「それは・・・・・」
王は困惑した表情を見せている。私は更にいった。
「中国人はメンツを大事にするって聞いたことがある。今日のスピコンで、後輩の一年生の前で失敗したら、恥ずかしいだろうね。でも、その時だけのことで、今なら失敗しても誰にも叱られない。会社で失敗したら、信用を失って困ったことになるよ。それはいやだろう。大学時代とはね、将来のための訓練・準備の時です」
王がうなずいた。
「初めから話し上手はいない。何事も経験だと思って、チャレンジしなさい! 来年、3年生になったら、参加するね」
王は小さい声で、はい、と返事した。
私は次の年に、王の発表を是非聴きたいと思ったが、その前に大学からの解雇が決まっていた。翌年の王の発表を聞くことができない。西安を去る時に、彼女にもう一度そのことの念を押したが、果たしてどうなることだろうか。
■ 長安大学から朗報来る
長安大学を二年で辞めた後、私は無錫市にある江蘇省立の三年制短期大学に赴任して、2年生に会話と作文の授業を担当することになった。
9月から授業がはじまり、3ヵ月が経過した12月3日の夜、宿舎に電話がきた。聞き覚えのある声が受話器から流れている。声の主は長安大学の王だった!
「先生、お久しぶりです。お元気ですか。今日ね、学内のスピーチコンテストがありました」
「それで?」
「わたし、発表しました」
「それはよかった」
「入賞はできなかったけど、ちゃんと発表できましたよ」
と、王の弾んだ声。
「それで、十分だよ。よかった、本当によかったね」
王の声のうしろで甲高い女学生たちのはしゃいだ声が聞こえてくる。スピーチコンテスを終えた後の、解放された雰囲気が伝わってくる。王の日本語も上達していた。
長安大を去ってから、もう半年以上が過ぎ、彼女は3年生になっている。前年度、彼女は緊張すると“どもる”という理由でスピーチコンテストに欠場した。だから王を励まして、次年度には必ず出場するようにと説得した。彼女はそのことを忘れずに、今回勇気をだしてスピーチコンテストに出場したことを、私にわざわざ報告してくれたのだ。
中国で日本語教師になったとき、学生の中から落ちこぼれ児を出したくないと決意した。上の王との一件では、それが叶えられたことが嬉しい。
しかし、いま教壇に立っている無錫の短大では、学生は学習意欲が低くて私を失望させた。一人の落ちこぼれ学生も出さないという私の願いは早くも崩れ去っている。
私は長安大学時代が無性に懐かしくなった。そして、王たち学生をもう一度教えることができたらどんなに幸せだろうかと思った。が、もう後戻りはできないのだ。