~~民族が心を一つにできる共有財産~~
江西師範大学には、クリスマス晩会とか新年会だとか、日本語科の教師や学生が一堂に集う演芸会があった。こんな時には、日本人教師は何か芸を披露しなければならない。この大学に赴任三年目には、安曇野の早春の情景を描いた『早春賦』を歌うことにしたが、ただ歌うだけでは芸がなさすぎる。そこで、一、二番を日本語の歌詞どおりに歌い、三番で、杜牧の『淸明』を中国語で歌うことにした。
I II
春は名のみの 風の寒さや 氷融け去り 葦はつのぐむ
谷のうぐいす 歌は思えど さては時ぞと 思うあやにく
時にあらずと 声もたてず 今日も昨日も 雪の空
時にあらずと 声もたてず 今日も昨日も 雪の空
III 淸明 杜牧
淸明時節雨紛紛 淸明の時節 雨 紛紛
路上行人欲斷魂 路上の行人 魂を断たんと欲す
借問酒家何處有 借問す 酒家は何れの処に有るかと
牧童遙指杏花村 牧童 遙かに指さす 杏花の村
中国語の発音はとても難しい(特に四声が)。中国語の家庭教師をしてくれている学生から特訓を受けた。そうして、本番でインターネットからダウンロードしたメロディをバックに歌ったところ、拍手喝采をうけた。特に、三番を『清明』の詩で歌ったのがよかったようだ。
これに気をよくした私は、
「では次に、清明を朗詠します」
と、言ったが、やはり発音にはちょっと不安があった。が、はじめた途端、そんな不安は消し飛んだ。会場につめかけた学生全員が一斉に大声で唱和したのである。
中国人が自国の文化遺産を共有して、心を一つにした瞬間だった。かつての毛沢東語録や国家の指導で作り上げたスローガンなどは、時代の流れのなかで廃れる運命にある。
しかし、漢詩だけは中国の民衆の中で廃れることもなく生き続けることであろう。それは素晴らしいことではないか! 同時に、世界に二百あまりの国家地域がある中で、発音こそ異なれ漢字という文字媒体を共有している日本人だけが、漢詩を今も愛し続けている。それも、日本人として誇るべきことであると思う。
こうして学芸会をつうじて、中国文化の一端を知るいい機会となったのだ。
【付記】
私はこの大学で「日本概論」の講義をした。歌舞伎や茶の湯などの伝統芸能にくわえて、「5・7・5・7・7」の三十一音の伝統的な「和歌」を紹介し、その呼び名は「漢詩」に対する「日本の詩」という意味であると説明した。
学生が興味を抱きそうな和歌を二つ紹介した。
1 古来、日本人は漢詩の影響をうけており、漢詩に着想を得て和歌を創作した例がある。平安時代の歌人「大江千里」の古今和歌集に収載されている和歌は、
――月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど
これは、白居易の「燕子楼」から着想したといわれている。
2 曹洞宗の開祖「道元禅師」の和歌は、禅の精神を四季折々の花鳥風月に託して歌いあげている。日本人の死生観や美意識を描いて海外からも高く評価された「川端康成」が、ノーベル賞の受賞記念講演で紹介したことで知られる名歌、
――春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
鎌倉時代に伝わった「禅宗」は中国の南宋時代に広まったものであるが、共産主義国の学生には、宗教そのものにあまり関心がない。私だって、この和歌から禅の思想を感じ取るのはむずかしいのだから、日本語を習得途上の学生には、詩そのものの読解が容易ではないだろう。
日本のメール友にこのことを伝えると、ある友人「渡邊捷弘」氏から返事がきた。彼は現代日本人には珍しい漢詩を作る風流人である。渡邊氏が創作した道元禅師の和歌の翻訳漢詩を、彼の許諾を得て紹介する。
渡邊捷弘 翻訳漢詩 (読み下し文)
爛曼春櫻笑 爛曼(らんまん)として 春は桜の花笑い
夏鵑山野青 夏、 鵑 (ほととぎす)に山野青く
玲瓏秋月晧 玲瓏(れいろう)として秋月は晧(あき)らかに
白雪冷冬庭 白雪は冬の庭に冷たく
坐庵觀四季 庵に坐して四季を観ずれば
万象自清泠 万象自ずから清泠(せいれい)たり
漢字そのものが母語の中国人学生の方が、私より理解が深かったのではないだろうか。
なお、日本語教師のなかには「5・7・5」の十七音の俳句を紹介して、学生に作らせる人もいる。ただし、旧暦に基づく「季語」は難しいので無視したようである。