大学とバトル、不法滞在の危機(昆明にて)

雲南省の私立大学でのトラブル

中国で五番目にして最後の赴任地が雲南の省都昆明市で、私ははじめて私立大学に勤務することになる。 

中國の最南端、雲南省は中国人も憧れの地で、昆明市をはじめ各地に有名な観光地がある。私は観光が目的ではなく、他に就職口が無いときに、たまたまこの地の大学を紹介されたのだから、幸運であった。私が観光した地を下に紹介する。

雲南省の観光地
雲南省各地の標高

 ここで、昆明市の気候風土について触れておこう。  

 雲南省は本来熱帯・亜熱帯気候に属しているが、昆明市は高原地帯にあるため、夏は涼しく冬は暖かくて住み心地がよい。大学に赴任早々、挨拶のため五階の日本語科職員室へと階段を上ると、息切れした。昆明の標高は1,892mと日本の高山に匹敵していて、平地より空気が希薄なのだろう。

この大学で1年間勤務したときに、私は70歳にたっした。こうなると、継続採用はされず、中国の他の何処の大学からも雇用される道が閉ざされた。

雇用契約期間は630日までだから、6月に入ると帰国の準備をはじめた。その日までに中国を去らなければ不法滞在になる。

私は日本語科教務主任をつうじて帰国の航空券の手配を頼んだ。しかし数日後、思いがけない返事がきた。

「当大学では外国人教師への往復の航空旅費とは、”日中間の航空旅費”ではなくて”空港と大学間の交通費”なので、自前で航空券の手配をしてください」

 私は驚いて雇用契約書を見直してみた。

 これまで赴任した4大学ではどこも1年間の教育活動を順調に終えたときには、往復航空券代が支払われていたし、今や世界主要国の求人条件の一般的常識となっている。だから、この大学の雇用契約書の解釈は手前勝手というより、詐欺行為に近いとも言えるもので、私にはとうてい納得できなかった(下図参照)。

契約書で大学と対立

 外事処の意向を私に伝えた日本語科教務主任はこうもいった。

「もし、外事処の対応にご不満があれば、今後先生は外事処と直接交渉してください」

 つまり私は、学内で唯一の味方となってくれるはずの日本語科教務主任からも見捨てられたことになる。『外事処』には英語に堪能な職員がいるはずである。私も日常英会話程度ならできるが、厳しい交渉事に耐えられるほどの高度な英語力は無い。しかも、学内で最も強大な権力集団である”外事処”を相手に一人で立ち向かわなければならないのだ。これは容易なことではないが、理不尽な目に遭って泣き寝入りをするのは何とも悔しい。

 そこで、私は肚を括った。

――往復の航空運賃はあくまでも外事処に支払わせる!

だが、もし交渉が長引き契約期限が切れて、7月にづれこむことになれば私は不法滞在者となり、公安警察に逮捕される恐れがある。が、それでも絶対に昆明に留まることに決めた

 外事処と戦うためには幾つかやっておかなければならないことがある。

 昆明は中国の僻地・最南端の雲南省にあるから、これまでの4大学の所在地と異なる事情があるのかもしれない。そこで、昆明の日本人教師仲間にメールで問い合わせた結果、3国立大と私立大いずれも、往復航空券が支給されていた。 雲南省を管轄している『重慶日本総領事館』に事情を伝えて支援を要請する文を準備した。

 

さらに昆明の日本人教師仲間の一人に、元日本の商事会社勤務で、外国との交渉経験のある人がいるので、意見を聞いてみた。

彼は言下に「そんな危ないことはお止めなさい」と厳しい。理由はこうである。

――なぜなら、中国は、日本のような人権が尊重される国家とは違う。また、中国人は日本を嫌っているので、日中双方が争えば、公安警察は「日本人が悪い」から始まる。とても、勝ち目はない。たかが旅費問題で不法滞在になれば、遙かに高額の出費を覚悟しなければならない。大学の理不尽な態度には肚がたつだろうが、ここは航空運賃くらい自腹を切り、さっさと帰国する方が賢明だよ。

 

これにはまいった。不法滞在を覚悟で外事処と戦う決意が、へなへなと萎えてしまった。

一度は私を見捨てた日本語科教務主任に、もしやと、すがる思いでE-メールを再度だした。

 

✔ 契約書を取り結ぶとき、教務主任がその窓口を担当なさっていたので、外事処の意図を知る立場にあった。

✔だから「我が校は往復航空券を支払わないが、それでもいいのか」となぜ率直にお尋ね下さらなかったのか

✔ それなら「雇ってくださることに感謝して、日本語科のお役にたちたいのでお受けします」と、お返事したでしょう。

✔ それが無いまま、帰国する今になって航空運賃を払わないと言われては、私は裏切られた思いで無念でなりません。

(以上、教務主任に”情”に訴える内容を書いてから、コワモテの”外事処”を意識して以下を追加した)

✔ 航空運賃支払いの交渉が難航して不法滞在になる場合には、『日本総領事館』に支援を依頼するつもりです。準備した日本総領事館への要請文を参考のために添付します。

 

このメールは意外なほど波及効果があった。日本語科教務主任はメールの内容を外事処長に伝えて、私と外事処の会談の日時をセットし、交渉の通訳も引き受けてくれることになった。ただし、要請文を日本総領事館へ送るのは差し控えて欲しいと言うので、私は同意した。

下に強くて上には弱い、そしてメンツに拘る”外事処”が、日中の外交問題に発展することを嫌ったと思われる。外国に住む邦人の私には、日本大使館や総領事館が最後の砦として身近に感じることができた。

航空費で外事処長と交渉

三日後に私は日本語科教務主任と共に外事処長室に出向いた。「所長は当大学の副学長を兼務している高い地位にある女性です」と教務主任が紹介した。処長室には大きな事務机の前に、黒革のソファがあり、我々はそこに座った。教務主任と処長が事前に打ち合わせしていたのだろうか、処長の意向を受けた教務主任と私が日本語で話し合う形で対話が進行した。処長は、ときどき教務主任の中国語に耳を傾けている。

冒頭、教務主任が、

「契約時に航空運賃ではなくて、昆明空港と大学間の交通費であることを話さなかったのが、森野先生にはご不満であったようです。この点は私の落ち度ですからお詫びいたします」

 教務主任が自らの非を認める発言をしたのは意外であった。事実上外事処もこの非を認めたようなものであり、出だしから低姿勢で友好的な態度が感じられる。二、三の話し合いの後、教務主任が問うた。

「森野先生は、あくまでも往復の航空運賃の全額支払いにお拘りになるのですか?」

 この質問に解決の糸口を模索しようとする先方の意図を感じた。私は即答した。

「これまでの大学での経験からいっても、それが私の希望です。しかし、互いが自己の主張ばかりをしていては、まとまる物もまとまりませんね。私は何とか円満解決できる道があればと思っているのですが・・・」

 この発言を教務主任が中国語に翻訳して処長に伝えると、処長がいった。

One-way ticket(片道切符)」

妥協成立

私はこれで妥協するしかないと肚をくくり、処長に手を差し出した。そして二人は握手。

あとは事務室のパソコンで、昆明長水空港から上海経由で関空への空港券の予約がとんとん拍子に進んだ。

以上、まるで芝居のように仕組まれた交渉が終ったが、日本語科教務主任へ送った我がメールが予想外の成果につながったのだ。同時に、教務主任が最後まで私を見捨ててはいなかったことに、感謝しなければならない。

 

 私と教務主任が外事処を出てキャンパスを歩いた。日本時間でならもう午後5時を回っているはずなのに、コバルトブルーの青空からは陽光が照りつけている。日本より2時間くらいは時差があるのでまだ真昼のようである。教務主任は日傘を差していたが、私は陽光を浴びながら爽やかな気分であった。 

ニール・セダカのOne-way ticket

<追記処長がいった「One-way ticket」は、高校時代の懐かしいアメリカン・ポップスの歌名だ。私はポール・アンカよりニール・セダカの方が好きだった。最近この歌に合わせた女性たちのダンスをyoutubeで観た。Very Good!

 

https://www.youtube.com/watch?v=_AHmP4JqE3s