日本語の論文やリポートを書くことを業務の一部とし、小説など散文を読み書きすることを趣味としていたネイティブ日本人の私は、日本語を外国人に指導できると考えて中国に渡ってきた。
しかし、大学などで教育学といった教師としての基本理念を学んだことの一切なかったのが、我が欠点かもしれない。教師とは、知識を伝える技術の巧みさに加えて、それ以上の何かを求められているのかもしれないからだ。
あるとき、教えるべき立場の教師が、学生から教えられた。我が人生二毛作目のそんな貴重な体験を綴りたい。
西安、無錫を経て、教師歴5、6年目となり、日本語を教える技術に自信がついてきた、江西師範大学でのことである。
■学生からの抗議メール
――先生は、私の点数をわざと悪くつけている。ヒドイ!
呉紅霞という3年の女学生がEメールで、採点した『中間テスト』の結果に不満を述べてきた。
私には身に覚えのないことだった。
――そのようなことは絶対ありません。今後、私を疑うようなメールを出さないでください。
たしなめるメールを返信すると、呉は引き下がる様子がなくこう反論した。
――前学期の試験でも私にわざと悪い成績をつけていた。
西安市の大学で日本語教師を始めて以来、これまで延べ数百人の学生を教えてきたが、テストの採点にこんな不満をいってくる学生ははじめてのことである。
――学生の答案にはいつも公平な評価をしているつもりです。これ以上私を疑うようなメールをだしたら、教務主任に伝えてあなたを懲罰処分にしてもらいますよ。
ちょっと脅してやったら呉はうわべでは「申し訳ありません」と詫びながらも、
――でも、先生は一部の学生を依怙贔屓しています。先生が朱茜さんを好きなことはだれでも知っています。
学生の姓名まで書いて私を批判しているのにはまいった。
呉は江西省の田舎町の出身で、かなり頑張り屋で成績は優秀だが、ちょっと情緒不安定で、クラス仲間とはうまくいってないようだ。
彼女は二年生のときに、相談したいことがあると、独りで私の宿舎に押しかけて来たことがある。だが、差し迫った相談事があるわけでなく、身の上話をした。呉は小さい頃に母と死別して祖父母に育てられたこと、広東省に出稼ぎにいっている父とは年に一度だけ故郷で会うが、あまりしっくりといっていないことなどを話した。
教師用宿舎は、大学のキャンパスにある高層マンションの十階にあった。長話の間、遠くの山々をぼんやりと眺めていると、急に「先生、いま何を考えているのですか?」
と、呉が探るような目で訊いてくるので、返答に困ったことを記憶している。ちょっと変わった学生だ。
ある時には、彼女はとりとめの無いメール文の最後に、こう書いてきた。
――中国の老人はすぐに老けて元気を無くしてしまうのに、先生はとても元気があって素晴らしいです!
私は呉の意図が理解できないので無視した。すると食堂で出会ったときに「なぜ返事をくれないのですか?」と彼女は詰問する。私が若かったら、ちょっかいを出してくる女学生がいるかもしれないが、こんな老人の私にどうしようというのだろうか。全く煩わしいことだ!
三年生の後期授業で、私は『日本概論』を講義しているが、会話授業と違って、教師が一方的に話すだけだから、呉と話をする機会が無かった。そして今、テスト結果で彼女は私の採点に不満を抱き、抗議しているのだ。
自室にまだ採点済みのテスト答案用紙が残っているので、それを見せて納得させ、一件落着にしようとも考えた。しかし、学生の姓名まであげて「依怙贔屓していることは誰でも知っている」とまで言われては、黙ってはいられない。
食堂で徐班長に会って、事情を説明した。
「そんなことを先生に言ってくるなんて非常識な人だわ」徐はさもあらんと納得した表情を浮かべている。「呉さんは奨学金めあてなのです」
「なるほど、そのためには学業成績が良くないといけないので、テストの点数が重要なわけだ。でも彼女に悪い点数をつけたわけじゃないんだが」
「あのひとは、命より奨学金が大切だと思っているんです」
そう話す徐の言葉の端々には呉に対する悪意が上乗せされているように、感じられた。
「徐班長にとって、呉さんは何かやりにくいところがあるのかな?」
「そうです。あんな勝手な人は知りません。この前、芸才大会でソーラン節の踊りをやろうとクラス会で決めました。ハッピを買うために、一人10元ずつ出すことになったのですが、呉さんだけ『私は参加しないし、お金は出せない』というのです。非協力的な人だわ」
「でも彼女の家庭は生活が苦しいらしいが」
「とんでもない!」徐がきっぱりといった。「奨学金でパソコンを買ったし、電子辞書もある。それに棚には本がいっぱい置いてありますよ。わたしよりよっぽど金持ちです」
私は、呉が批判していた幾つかを話して、それをクラス仲間に確かめてくれるように頼んだ。
「でも徐さん、聴き取りは穏やかに、あくまでも冷静で客観的にやってね」
「まかせとき!」と、いって徐が帰っていった。
宿舎に帰ってからも呉のことを考えていた。
中国の大学は全寮制で、学生は毎日キャンパス内で生活している。3年生は男子学生3人を除いて44人が女学生である。彼女たちは4人ずつ11部屋に分宿して暮らしている。お互いに濃密な関係をつくって、仲間意識が強い反面、女性特有の人間的軋轢が発生することもあるだろう。呉と徐班長との関係も微妙であるようだ。
呉がいっている「先生は女学生に対して依怙贔屓している」で、私は西安市の大学に赴任したときのことを思い出した。
教師生活一年がすぎようとしている6月頃に、元会社の友人6人が中国観光で西安を訪問したことがある。学生との交歓食事会を計画していたが、学生全員を出席させることは物理的に困難だった。そのとき小田原工場の元部長が私にこうアドバイスをしてくれた。
――食事会に参加する学生を、君の好みで選んではいけません。参加者を恣意的に選択すると、必ず不満がおこるものです。女の恨みはコワ~イですよ! 後々の教師生活に支障のないように、くれぐれもご注意を。
多数の女性工員を抱えていた工場の管理者ならではの経験談といえるであろう。私は、この助言にしたがって公平を期すために、籤引で十人を選んだ。
こんな過去を振り返るとき、今回の女学生『呉紅霞』の扱い方について、このままの対処法でいいのかどうか、ちょっと不安になってきた。
ふと大学の先輩で高校の教師をしていた瀬川を思い出した。私はメールでことの次第を詳述して意見を求めると、瀬川先輩の返事が数日後にきた。
ーーお久しぶりです。貴兄の中国でのご活躍ぶり羨ましく拝見しました。
小生も、もしあと5年若かったなら、中国へ行って教壇に立ってみたいと、元教師の虫が騒ぎだしたほどです。
さて、ご質問の件について、小生の率直な感想を申し述べます。
貴兄の教師としての仕事熱心さと自負心ゆえの対応のようですが、非常に拙劣なやり方をなさっているように思います。教師のやるべきことではありません。永年高校の教師であった小生は、その後、企業の人事部で働いていた経験もあります。そのことより、企業における部下に対するマネジメントと学生への指導の方法が、根本的に異なると考えております。上司と教師とは違うのです。
あくまでも呉さんを個別に指導すべきです。教師の権限を大上段に振りかざして他の学生たちまで巻き込んで問題を明らかにし、白黒をつけようとする貴兄のやり方には承服できません。
今からでも遅くはありません。呉さんを救済してあげて下さい。呉さんとの関係を修復して下さい。
今回の事件から貴兄は多くのことを学ぶことになるでしょう。小生は、貴兄のお仕事への情熱と真剣な取り組みを改めて知りました。学生たちはあなたを見ています。あなたの気持ちを理解しています。後年、呉さんを含めて、教え子たちは感謝の念を持って、あなたを思い返すことでしょう。
小生はそれを信じているが故に、敢えて苦言を呈しましたことをご理解下さいませ。
瀬川忠夫
瀬川先輩は、女学生の扱い方と言った技術論ではなくて、「教師たるものの本分を追求せよ!」と要求している。
何度も読み返した。このメールには、後輩の私を叱り、そして激励してくれている瀬川の教育者としての情熱がほとばしり出ているのを感じた。改めて、教師という職業が“聖職”であることを教えられた。
ところが、このメールを読む前日に、既に徐班長からの中間報告を受けていたのだ。
それは、瀬川先輩のメールにある、
――教師の権限を大上段に振りかざし、他の学生たちまで巻き込んで問題を明らかにし、白黒をつける。
が、着々と進行しており、大団円間近になろうとしているのだ。徐班長は学友の間を駆けまわり、情報を私に伝えに来た。
彼女は自らの情報収集能力の高さを誇るように、そして、私への媚びを巧妙に隠しつつ話した。
「まず、呉さんは授業中に先生が学生の心を傷つけるような発言をしているといっていますが、二、三の学生も、あると言っていました。ただし、あるかもしれないが大したことではない。先生は率直な話し方をする人だから気にしないとか、日本人と中国人との考え方の違いがあるから仕方のないことだとか、そんな程度です。他の学生は、傷つけられたとは思わないという人ばかりですよ」
徐はそう言ってから、「先生は冗談が好きですからね、私はいつも笑って聞いていますよ」とつけ加えた。
私は、冗談をいったとき、教室の笑いの渦の中に独り取り残されたように、あの据わった目で教師を見詰めている呉紅霞の姿を思い浮かべた。教師のユーモアが全く通じない性格のようだ。
それから、と徐班長が続ける。
「先生が特定の人に依怙贔屓していると呉さんが言っていることですが、これには同意見の人もいましたよ」
「私の依怙贔屓の相手は朱茜さんかい?」
「あたり」と言って、徐がハハハと笑った。
たしかに、私は朱とは普通の学生よりは親しい付き合いがあった。彼女が2年生のとき、ルームメートと武漢大学の花見に行く計画をしているのを小耳にはさんだことがきっかけである。中国に来て以来、ホームシックに罹ったことがないが、桜の季節だけは例外である。西安市では青竜寺、無錫市では太湖畔と桜の名所を訪れて望郷の念にひたったものだ。
武漢大学の桜並木も長江流域では有名である。私は旅費を負担するという条件で、朱茜とルームメートとの3人で一泊二日の武漢旅行をした。桜は散っていたが、李白の詩で有名な黄鶴楼や長江大橋などが見物できた。後日、彼女の両親がお礼にと、故郷の土産を彼女に届けさせたが、それを他の学生が見ている教室で受け取ったのはまずかったか?
朱茜の最大の特色は、可愛い顔のてっぺんにある、頭頂で結い上げたチョンマゲ様の髪型であった。会話の授業で朱が間違いをしたときには、罰として髷を握って上下させて、皆を笑わせた。授業ではそんな道化役――本人も一緒に笑っているような人――の存在は貴重である。私はそんな愛嬌を兼ね備えている朱が好きだった。『アカネちゃん』と日本語の愛称で呼んだこともある。
「まあ先生も男だから、それぐらいは赦してあげましょう」
徐が言って、ニタリと笑った。女の子のこういうさり気ない仕種は、意外と胸にグサリと突き刺さる。
「ただし、先生は授業の合間の休憩時間に、特定の学生とばかり話していると、不満をいっている人もいるから、気をつけてくださいね」
「わかった、その点は反省して今後気をつけます。しかし、だからといって、私がテストの点数にまで依怙贔屓していると、皆は疑っているのだろうか?」
「だいじょうぶ、そんな疑い深い人は、呉さんだけです!」
徐班長は、また新たな情報が得られたらお伝えします、といって帰った。
こうして、呉とのトラブルは私の予想どおりの結論に落ち着きそうであった。必要なら、徐に一、二枚のリポートを書いてもらい、呉に「これが皆の意見だ!」と、突きつければ一件落着だ。私はそう高を括っていた。
しかし、今の私はそんなことをしているときではない。瀬川先輩のメールが重くのしかかっているのだ。元々学友の中で孤立している呉が、今度のことでますます追い込まれていくような事態に陥ったらどうなる? 軽率過ぎたかな、と不安になってきた。
私は次の週末に徐班長と彼女のルームメートを連れて、市内の韓国料理店へ行くことを約束していた。ちょっとした成功報酬みたいなものだ。だが今の私には、呉の悪口をいい合いながら焼き肉を頬張るような気分にはとてもなれない。
それでいて、瀬川先輩の助言に従って、今すぐ呉のところに駆け寄って手を握るようなこともできそうにない。この期に及んでも教師のプライドを捨てきれずにいる。
■思いがけない展開
翌日、学生からEメールが飛び込んできた。朱茜からである。今度の事件で、彼女は、呉から私の依怙贔屓の対象とされたのだから、きっと呉に対する恨み辛みを書き連ねているに違いない。そう直観しながら読んだ。
――私は呉さんとちょっと話し合いました。呉さんは「申し訳ございません」と先生に伝えたいのです。先生が呉さんの真意を十分に理解してあげなかったのではないかと思います。呉さんは先生が教師として尊敬に値する人だと思っています。しかし、人と人との相性というものは確かに微妙なものです。呉さんの言葉がちょっと激越かもしれないけど、悪気があるわけではないのです。先生、呉さんを許してあげてくださいませんか。お願いします。
胸が熱くなった。そして、恥ずかしくなった。私がやるべきことを、朱がちゃんとやってくれているのだ。朱はなんという心優しい娘だろうか! そして、呉への不快感が消えていった。ここから先は、私がやらなければならない。
学期末をひかえて、新学期の『作文授業』の準備もしておかねばならない。私には新たな試みの腹案があり、学習委員の鐘夢と相談していた。鐘が、図書館の日本語書籍コーナーで一冊の本を見つけた。
それは『中国日語学習者遍誤分析』(王忻著)であった。日本語の専門用語では『誤用分析』といい、中国人が日本語の作文をするときによくやる誤りの原因を系統的に分析している。450頁の大部なのに定価22元(邦貨換算約300円)と安いが、日本で出版されたら二、三千円はするはずである。この本の特色は、千以上の例文が正誤対照で網羅されている点である。
「新学期からの作文の授業でこの本をテキストにして、9月に1ヵ月かけて集中講義しよう。この本から五百センテンスを選び出し、夏休み中に私が編集して講義資料を作ります。そのためには、君たちで手分けしてパソコンに文を取り込んで欲しいのだけど、協力してくれるかい」
鐘も乗り気だった。私一人では大変な作業量だが、女子寮の各部屋で分担すれば、簡単に終えることができるだろう。
「わかりました。さっそく各部屋の代表に連絡しましょう」
鐘がそう言って席を立ったとき、私は呉を思い出した。
「ちょっと訊くけど、呉さんの部屋は誰が担当するの?・・・できたら、呉さんが引き受けてくれるように頼んでもらえないだろうか」
鐘は一瞬とまどいの表情を見せたが、笑顔に変わった。
「いいですよ。やってみます」
さっそく本をコピーして、パソコンに取り込む例文にマークをつける作業を開始した。翌日完了し、それを更に数部コピーして鐘に渡した。これで分担作業は順調に進むだろう。
翌日、鐘が報告にきた。
「各部屋への連絡が終わりました。ただし・・・」
「ただし」と私がオウム返しにいった。「呉さんはどうだった?」
「それが、呉さんはイヤだとは言いませんが、はっきりしません・・・なんなら、呉さんの分担分を私が代わりにしましょうか?」
「ありがとう。でも、わたしが呉さんに会って確かめることにしよう。彼女は今どこに?」
「たぶん図書館で自習していると思います」
長い廊下を歩きながら呉のいるはずの自習室を探した。開け放れた窓から中をのぞくと書架のそばのテーブルに呉がいて、隣席の学友と顔を寄せ合ってなにやら話をしているようだった。よく見ると、その学友が朱茜だったので驚いた。以前二人はそれほど親しい仲ではなかったはずだが、最近急接近したのだろう。あのメールの文面を思い出して私は喜んだ。
窓から何度か手を振ると、先に朱が気づいて手を振った。呉も気付いて、私の合図に従って廊下にでてきた。
呉のいつものクセである目を瞬かせて、窺うような表情で私を見ている。
「学習委員の鐘さんから聞いた? パソコンへの取り込み作業のことだけど」
「はあ・・・」
「ぜひ呉さんに引受けてほしいんだけど、どうだろうね」
ちょっと間をおいてから呉が微笑んだ。
「もう始めています。2、3日中に、先生にワード文書を添付してメールで送りますから」
「な~んだ、そうだったのか」私がいって、ちょっと頭をかいた。「よかった!」
あとは、微笑みの交換をするだけだった。
呉に話したいことが山ほどあったが、うまく言葉にならなかった。このときばかりは、65歳の老人が、いきなり二十代の若者にジャンプしたような妙な具合になっていた。
「じゃ、よろしくね」
去り際に窓から中をちらりと眺めると、朱茜が意味ありげな表情でVサインを出した。長い廊下を歩き曲がり角で振り返ったら、呉がまだあの場所に立ってこちらを眺めている。私が手を振ったら、彼女も。
数日後、呉からワード文書ファイルが届き、一週間後には全員の資料がそろった。こうして五百センテンスがすべて揃った。
7月のはじめに、私は担当している授業の期末試験の採点を終えて一時帰国した。
――雨降って地固まる、そして学生に教えられた。
私はそんな思いで日本の夏休みを迎えた。
呉紅霞から暑中見舞いのメールが来た。祖父母と陶器の里『景徳鎮』へ行ったときの写真が添付されていた。
朱茜からもメールが来て、以下のように書いてあった。
――じつは、先学期、3人のルームメイトとちょっとした揉め事があり、私は数ヶ月イジメに遭っていたのです。そんな時に、徐班長が中心となり呉さんを責めている原因が、先生と呉さんの問題であることを知りました。わたしは、呉さんが学友の中で孤立している気持がよくわかり、他人事とは思えなくなりました。こうして彼女と私は同じ悩みを持つ友人となりましたが、2人の性格や価値観はかなり違います。ですから私はこれからも呉さんと親しい友人になれるかどうかわかりません。でも、心のある部分で何となく彼女と共有できるものがあります。デリカシーに欠ける人が大嫌いなところなど。ところで、先生は私をとっても依怙贔屓してくださっているのだそうですね。うれしいわ。でもテストの点数はよくないぞ、なんとかしてちょうだい。(^_^;)
■和解
新学期がはじまった。中国の内陸部にある江西省の南昌市はまだ残暑がきびしかったが、既に、作文授業は9月はじめから開始されていた。新4年生は2クラスに分かれ、作文はそれぞれ週に1回の授業だったが、教務主任の許可を得て、9月中は2クラス47人合同の集中講義をした。これによりひと月で8回の授業ができる。前学期末に学生の協力を得て集めた例文を有効に使ったが、その中でも私が特に力をいれたのは、日本語特有の『ハとガの区別』と『複文の文法』であった。学生に書かせる作文は10月からだが、それまでの間にも添削を希望する学生は自由作文をメールで提出してもよい、と学生に伝えた。
さっそく送ってきたのは呉である。作文を読んで驚いた。要約すると、以下のような文章である。
――ある日、少女がいつものように公園のブランコを独りで漕いでいたら、子猫の鳴き声が聞こえた。捨て猫らしい。家に抱いて帰ったが母が飼ってはいけないという。やむなく猫の引き取りの案内を家の前に貼りだした。2日、3日経っても引き取り手がなくて、少女は小猫を可愛がりながら過ごすことができた。が、一週間後に学校から帰ると猫はもういなかった。こうして少女は、公園のブランコに独り揺れる毎日に戻った。
少女の孤独で揺れ動く繊細な感情を見事に描いている。更に驚くべきことは、日本語の文章の完成度であった。私が手を加えたのはほんの2、3ヵ所、助詞の程度にすぎなかった。これほどの優れた日本語の作文は、中国に来て以来いまだかつて見たことがない。
この作文は自身の子供時代の思い出か? あるいは、掌編小説か? いずれにしても優れた作文能力であった。しかし、わずかに3年程度の日本語学習歴しかない学生が、これほどの日本文が書けるものだろうか?
一抹の不安がよぎった。信じたくないことだが、盗作では?
これだけはどうしても解決しておかなければと考えた私は、中国人教師張先生に電話で事情を説明し、会うことにした。彼女は四川大学の修士卒で、教師歴3年の若手だが学生に人気がある。数日後、教学楼の入り口で二人は待ち合わせて、空いている教室に入った。呉の作文をプリントアウトしたA4用紙一枚を、最前列に腰掛けている張先生に渡した。
原稿用紙5、6枚程度の長さだから15分もあれば読めるだろう。私はその間、教学楼の中庭に出てタバコを吸った。夕陽が秋の気配ただよう校舎の対面を紅く染めている。
教室へ戻ると、張先生が読み終えたところだった。
「どうでした」と私が声をかけた。
「いや~、素晴らしいですね」張先生が目を輝かせた。「でも、これは呉さんのオリジナルですよ」
「そうですか。安心しました」
張先生のお墨付きをもらって、我がことのように喜んだ。
「呉さんが2、3年生の時に、精読授業で教えていました。年に数度作文をさせましたが、いつもこんな作風でしてね。あの子は、物静かでちょっと孤独癖のある子でした」
「なるほど。でも、語学の天才はいるものですね。文才もあって、わたしでも敵わない」
「ご冗談を。でも、日本人の先生がそうおっしゃるのでしたら、呉さんは相当なものです」
「どうでしょうか、この作文、中国に作文コンクールがあれば応募させてやりたいですね」
「調べておきます。ところで、先生は作文授業をなさっているのですね」
「ええ、国慶節休暇明けから本格的に作文させる予定にしています。でもねえ、これまでの経験からすると、ヒドイ文章を書いてくる学生が多くて困ります」
「ある本に書いてありましたよ」といって、張先生が含み笑いをした。「学生の作文は履き古した『臭い靴下』みたいなものだって!」
「なるほど、それは巧いことをいいますね。教師が添削という洗濯をせっせとやって、学生に返してやる」
「でも、また次に臭い靴下がいっぱい来ます」
「だから、我が宿舎にはいつも悪臭が立ちこめている」
私がいって張先生と大笑いした。
私は、とてもよくできた作文だ、と呉に感想を送った。
その後も、呉は心の悩みを打ち明けるような作文を送ってきた。私は、新聞コラムにある『人生相談』のコメンテ-ターになったような気分だが、丁寧な感想や添削をして返送してやった。
彼女が私にしきりに近づこうとし、ときに不満を言ってきたのは、心の裡を理解してくれる人を求めていたからではないだろうか? だとすれば、私はそれに応えてやらねばならない。
こうして、私と呉紅霞は作文授業をつうじて、心の通い合う師弟関係ができていった。
■和解
新学期がはじまった。中国の内陸部にある江西省の南昌市はまだ残暑がきびしかったが、既に、作文授業は9月はじめから開始されていた。新4年生は2クラスに分かれ、作文はそれぞれ週に1回の授業だったが、教務主任の許可を得て、9月中は2クラス47人合同の集中講義をした。これによりひと月で8回の授業ができる。前学期末に学生の協力を得て集めた例文を有効に使ったが、その中でも私が特に力をいれたのは、日本語特有の『ハとガの区別』と『複文の文法』であった。学生に書かせる作文は10月からだが、それまでの間にも添削を希望する学生は自由作文をメールで提出してもよい、と学生に伝えた。
さっそく送ってきたのは呉である。作文を読んで驚いた。要約すると、以下のような文章である。
――ある日、少女がいつものように公園のブランコを独りで漕いでいたら、子猫の鳴き声が聞こえた。捨て猫らしい。家に抱いて帰ったが母が飼ってはいけないという。やむなく猫の引き取りの案内を家の前に貼りだした。2日、3日経っても引き取り手がなくて、少女は小猫を可愛がりながら過ごすことができた。が、一週間後に学校から帰ると猫はもういなかった。こうして少女は、公園のブランコに独り揺れる毎日に戻った。
少女の孤独で揺れ動く繊細な感情を見事に描いている。更に驚くべきことは、日本語の文章の完成度であった。私が手を加えたのはほんの2、3ヵ所、助詞の程度にすぎなかった。これほどの優れた日本語の作文は、中国に来て以来いまだかつて見たことがない。
この作文は自身の子供時代の思い出か? あるいは、掌編小説か? いずれにしても優れた作文能力であった。しかし、わずかに3年程度の日本語学習歴しかない学生が、これほどの日本文が書けるものだろうか?
一抹の不安がよぎった。信じたくないことだが、盗作では?
これだけはどうしても解決しておかなければと考えた私は、中国人教師張先生に電話で事情を説明し、会うことにした。彼女は四川大学の修士卒で、教師歴3年の若手だが学生に人気がある。数日後、教学楼の入り口で二人は待ち合わせて、空いている教室に入った。呉の作文をプリントアウトしたA4用紙一枚を、最前列に腰掛けている張先生に渡した。
原稿用紙5、6枚程度の長さだから15分もあれば読めるだろう。私はその間、教学楼の中庭に出てタバコを吸った。夕陽が秋の気配ただよう校舎の対面を紅く染めている。
教室へ戻ると、張先生が読み終えたところだった。
「どうでした」と私が声をかけた。
「いや~、素晴らしいですね」張先生が目を輝かせた。「でも、これは呉さんのオリジナルですよ」
「そうですか。安心しました」
張先生のお墨付きをもらって、我がことのように喜んだ。
「呉さんが2、3年生の時に、精読授業で教えていました。年に数度作文をさせましたが、いつもこんな作風でしてね。あの子は、物静かでちょっと孤独癖のある子でした」
「なるほど。でも、語学の天才はいるものですね。文才もあって、わたしでも敵わない」
「ご冗談を。でも、日本人の先生がそうおっしゃるのでしたら、呉さんは相当なものです」
「どうでしょうか、この作文、中国に作文コンクールがあれば応募させてやりたいですね」
「調べておきます。ところで、先生は作文授業をなさっているのですね」
「ええ、国慶節休暇明けから本格的に作文させる予定にしています。でもねえ、これまでの経験からすると、ヒドイ文章を書いてくる学生が多くて困ります」
「ある本に書いてありましたよ」といって、張先生が含み笑いをした。「学生の作文は履き古した『臭い靴下』みたいなものだって!」
「なるほど、それは巧いことをいいますね。教師が添削という洗濯をせっせとやって、学生に返してやる」
「でも、また次に臭い靴下がいっぱい来ます」
「だから、我が宿舎にはいつも悪臭が立ちこめている」
私がいって張先生と大笑いした。
私は、とてもよくできた作文だ、と呉に感想を送った。
その後も、呉は心の悩みを打ち明けるような作文を送ってきた。私は、新聞コラムにある『人生相談』のコメンテ-ターになったような気分だが、丁寧な感想や添削をして返送してやった。
彼女が私にしきりに近づこうとし、ときに不満を言ってきたのは、心の裡を理解してくれる人を求めていたからではないだろうか? だとすれば、私はそれに応えてやらねばならない。
こうして、私と呉紅霞は作文授業をつうじて、心の通い合う師弟関係ができていった。