友人

~~共に励まし合った夢の結末~~

私には高校時代から続いている『紺野』という親友がいる。彼とは、34ヵ月も経つと、特にさしたる理由もないのに会ってみたいな、と思うようになるのだから不思議だ。 

そんな私の思いが通じたかのように、たいていは向こうから電話がかかってくる。会ったら、仕事のこと、妻や家庭のこと、女の話など、さして重要とは思われないことを話題にして、毎回飲んだり食ったりしていた。そんな話をして友と数時間過ごすのが忙中閑ありで、二人にとっては、ささやかながら心のオアシスになっているようだった。

 

  紺野と私は、一つだけとても真面目な話をしたことがある。それは、二人の『夢』だった。私の夢は薬学博士になることで、彼の夢は司法試験に合格して弁護士になることだ。

 

優秀な人なら、大学院の博士コースにすすめば二十代後半には博士になれるし、大学の法学部に進学して司法試験対策のための勉強に集中すれば、30歳までには司法試験に合格できるだろう。ところが、できの悪い私は、大学院に進学できないまま、大卒で会社勤めをすることになったし、紺野も専門が異なる大学の学部を卒業後会社に就職した。お互いに本格的に博士や弁護士を目指したのが、三十歳を超えてからなのだから、これでは、まるで陸上の一万メートル競技で、先行集団から一周遅れのランナーみたいなもので、優勝はとても望めそうにない。 

一周遅れのランナー

二人は目覚めるのが遅かったし優秀ではなかったのだから仕方のないことだ。  

が、それでも人生には遅れて参加する者にも、努力さえすれば必ずチャンスがあるものだ。そう信じて、紺野と私はそれぞれの夢に向かって努力した。

チャンスは私の方に早く巡ってきた。

30代後半にある大学の薬学部へ会社から一年間出向させてもらうことができた。そこでコネのできた教授の指導をうけながら、会社にもどってからも博士論文のための研究をつづけた。平日は就業後の夜に、そして土日にも会社に出勤して研究に励んだ。五年間、ほとんど家庭を顧みずに研究に没頭していたので、子供には冷たい父親だったろう。

大学に論文を提出して博士号を取得できたときには、もう四十歳を越えていた。大学院でドクターコースを卒業した博士と比べると十数年の遅れだった。それだけに、私は嬉しかったし、仕事への意欲もいっそう高まった。 

  一方、紺野は会社を辞めて、物流関係会社の管理人などのパートタイマーという不安定で薄給に甘んじながら、司法試験の勉強を続けた。奥さんが働いて家計を支えてくれているのだ。彼は性格がとても穏和で、心優しい男だった。子煩悩で、野球少年団に入っている息子の世話をしたり、試合があれば遠征にまでよく同行していたようだった。しかし、そのような優しいパパぶりは、反面では肝心の司法試験の勉強には抜かりとなっているのかもしれない。毎年司法試験に失敗しつづけ、気がつけば40代も半ばを過ぎていたのだ。

 

 ■友の挫折

その頃、私は久しぶりに京都のレストランで紺野に会った。彼がいつになく元気のないのが気がかりだ。食事がはじまってしばらくした頃、紺野がぽつりぽつりと話し出した。

「オレ、司法試験をあきらめたよ。もう能力の限界を感じたし、家族にこれ以上迷惑をかけられないからなあ。今度、小さな会社に勤めることになった」

「そうか・・・」

 私には次の言葉がでてこない。とても、就職おめでとう、とはいえない。何か重苦しい気分の中で、私たちはしばらく無言のまま食べていた。

友が私の手を握る

そのうち、紺野がいった。

「これからもオレとつき合ってくれるか?」

 わたしは、驚いた。

「何をいうんだ。当たり前じゃないか! 永いつき合いだ。これからも時々会おうぜ」

そういったら、いきなり彼の手が伸びてきて私の手を握り、

「ありがとう、ありがとう」

と、いって紺野が泣き出した。

その瞬間、私は彼の気持を察する余裕もないまま、周りの目が気になった。横のテーブルの客がジロジロと我々を見ている。むくつけき中年男が、相手の男の手を握って泣いている。これは、尋常なことではない。私は恥ずかしくなって、テーブルから手を引っ込めた。

だが、そのときの彼の心の裡はいかばかりだったろう。

司法試験に合格して弁護士になる、そんな夢に人生を賭けてきたことを断念しなければならなかった、挫折感、無念な思いが紺野にはあったのだろう。また、共に誓い合った一方の私の方が夢を実現していたので、彼は私への負い目もあったのだろう。それだけに、私が変わらぬ友情を持ち続けていることが、彼には嬉しかったようだ。あのときの彼の心中を察すると、いま思い出しても本当にせつなくなってくる。 

 

友人と抱いた夢には難易度に差があった。

博士になることは、さほど困難ではない。日本では、大学はもとより企業ではたらく理系の研究者も博士になれる。私の勤めていた企業の研究所には、“石を投げたら博士に当たる” といわれるほど沢山いる。

一方、紺野が目指す司法試験はどうなのだろうか? わたしの専門と違うので分からないが、彼の苦労を見ていると博士になるよりかなり難しそうに思える。

中国の科挙試験
3000人に一人の狭き門、カンニングすると・・・

中国には官僚任官試験として、漢代から清王朝まで『科挙試験制度』があった。浅田次郎の小説『蒼穹の昴』にも、帝都での最終試験の厳しさが描かれている。紺野の目指す司法試験もかなり難関だったのではないかと想像されるのだ。

 しかし、ひとたび夢を抱いた以上、それを実現させなければならない。夢を実現できるかできないかは、その後の人生を大きく左右することを、紺野のその後を見たらわかる。

だが、どうあろうとも、友情にかわりはない。