A 若者の性風俗
――パリの街角で男女がキスをしているのを見かけた。
と、欧州観光旅行をした友人の話をずいぶん昔に聞いたことがある。キスや抱擁が挨拶として習慣となっている欧米人だから、そんなことぐらいあるだろう、と私は思った。しかし、日本をはじめとして東洋にはそんな生活習慣は本来なかったのだ。
村上春樹は中国でも人気のある現代作家の一人であるが、彼の大ヒット作品「ノルウェイの森」に性描写が多いという理由で、きらっている女学生が少なくない。しかし一方で、どこの大学でもキャンパスの至る処で男女が抱き合っている光景は普通に見られる。
私が勤務している上海の大学には、外人教師用の控え室があり、その4階の窓からは校門の近くのバス停が見えた。ある日、窓外の街の様子を写真に撮ろうとしていたときのことだった。バスを待っている7,8人の客の中に向き合っている男女が見えた。一台目のバスに乗客が乗り込んだ直後の光景で、まばらな人の中でその二人が余計に目立ったので、私は何気なくシャッタを押した。たまたま女性が男を見上げる視線の先にカメラを持つ私が見えたらしく、すぐに男から離れた。その不自然な挙動から何かを感じた私は、撮った写真を拡大して見てみた。すると抱き合った二人が、キスをする直前か直後であることがわかった。二人は私の勤務している大学の学生だろう。
こんな振る舞いをしている若者は例外ではない。あるとき、市内のデパートのトイレに行ったときには、入り口の前で男女が抱き合っているのを見たことがある。よりによって女がまるで相撲の外掛けのように片足を男の足に絡ませていた。女が男を挑発しているというより、周りの通行人にこれ見よがしに誇示しているようにすら思えた。
中国が改革開放路線をひた走り、経済的・社会的な開放が進んでいるとはいえ、男女が公衆の面前で恥じらいもなく抱き合ったり、キスをしたりしているのは、この国も堕ちるところまでおちたものだ、と私には思えてならない。
このような若者の性風俗を、親の世代はどう見ているのだろうか。
私は日本へ一時帰国中に大津市の図書館で日中関係の書籍を渉猟していると、この疑問に応えている本を見つけた。「中国を理解する30のツボ」(李景芳著 講談社+α新書)より、その一部を紹介する。
B 中間世代の親たちのストレス(不潔で不道徳なもの)
文化大革命直後の1980年頃には、大学での「 恋愛」は厳しく禁止されていた。
新中国の建設(1949年)以来、中国では長い間、上からの大義名分が、個人の感情を押しつぶしているような状況が続いていた。
しかし、改革開放以来、国際化、対外開放を進める中国では、従来の大学生の恋愛禁止も様変わりしつつあります。「恋愛禁止」ということばは「恋愛を提唱しない」というソフトな言い回しに変わってきました。恋愛したということで、非難され、不良行為として個人の記録に残されるということは過去のことになりましたが、中学、高校生の恋愛、そして大学生の妊娠、結婚は依然として認められていませんでした。
かつて日本でも恋愛について語ることすら恥ずかしいと考える、保守的な時代がありました。しかし生活文化の急速な西欧化、情報が溢れ返る時代の中で、奔放な恋愛、性行為に走る若者たちが登場し、彼らの考え方や行動が、保守的な大人たちとの間に埋めがたい溝となっています。
婚前交渉、同棲・・・・こうした若者たちの行動と伝統的な観念との間で激しい摩擦が起こっています。
改革開放の時代に青春を過ごしたいわば中間世代の親たちは、伝統的な体面と理解できない子どもたちの行動の両方からストレスの日々にさらされているのです。
中国社会でも若い男女の婚前交渉や同棲は、昔から不潔で不道徳的なものと見られてきました。しかし、経済の改革開放と同時に外国の性文化が中国に急速に浸透し、中国の伝統的な観念と大きな摩擦を生じています。Cさんは、私のかつての職場の同僚です。彼女は、私にこんな悩みを打ち明けました。
「息子は親元を離れて大学へ通っています。入学してから一年が経った頃、息子から大学の寮の四人部屋はうるさいから、ひとりで部屋を借りたいと言ってきました。勉学のためなら仕方がないと思った私は、すぐそのための費用を送金しました。しかしその年の夏休み、息子は同棲している彼女を連れて家に帰ってきました。その日から、家庭は重苦しい雰囲気になりました。いくら反対しても、返ってくるのは『あなたと僕たちは世代が違う。こんなことみんなやっている』ということばだけでした。『将来はどうするの?』という問いにも、『わからない』と平然と答えるだけです。私は涙を流すばかりでした。(後略)」
Cさんだけでなく、多くの中国の親たちはこうした現実に直面しています。かつて中国の結婚は、親や仲人が相手を決め、本人同士は結婚式の当日まで顔を知らないことも珍しくありませんでした。今の四十代、五十代の親たちは、新中国建設後の世代なのでそんな体験はありませんが、恋愛、結婚について伝統的な家族観や体面を重んじる保守的な考え方の世代です。
Cさん自身も1980年代に結婚しましたが、結婚後半年足らずで子どもが生まれました。中国人の年寄りにとってはかけがえのない孫の誕生、それも初孫であったにもかかわらず、婚前交渉による子どもということでCさんの両親が孫の誕生を親戚や知人に知らせることはありませんでした。(中略)
そんな体験を持つCさんですら、息子世代の考え方にはついていけません。大学構内を歩くにもガールフレンドがいないと格好が悪い。結婚や子どものことを考えずに簡単に性交渉を持つ。まるでファッションの一部のように男女の関係を考える若者たちに、親たちは戸惑い、無力感を感じています。
わずか十数年前まで、映画のキスシーンまでカットされていた中国で、ミニスカートはもちろん、まるで水着のような小さなブラジャーとパンツで町を闊歩する女性たち、人前でも平気で抱擁を交わすカップル、婚前交渉、同棲・・・・と外国からの性文化が急速に広まっています。
こうした「新事物(現象)」と伝統的な観念との間で激しい摩擦が起こっています。いわば中間世代の親たちは伝統的な体面と、理解できない子どもたちの行動の両方からのストレスに日々さらされています。
他人の子どもなら街頭でキスしている姿も、見て見ぬふりをして済ますこともできるかもしれません。しかし自分の子供の同棲などに直面した親は、いろいろな理由をつけて周囲をごまかしながら悩み続けています。
中国には「各家都有一本難念的経(それぞれの家にはそれぞれの難解な経文がある=それぞれの家にはそれぞれの悩みがある)」という、よく使う言い回しがあります。いま、中国の親たちはそれぞれに同じような問題を抱え、憂いを深めているのです。
<私の感想>
若者風俗には、別の意味で日本と似ているところもある。ディンクス(DINKS;Double Income No Kids)、つまり、夫婦共稼ぎの豊かな生活を楽しむために子供を産まないことが、日本の一部の若者のライフスタイルになっていると中国の日本語会話テキストにも紹介されていた。中国では、「丁克族」(ding ke zu;ディンクズ)と呼ばれている。
ディンクスは結婚はしているのだが、結婚すらしない若者が増え続けている点でも中国は日本と同じである。上海に有名な人民広場がある。この公園に日曜日になると、若者の親が多数集まり、互いの息子・娘を紹介し合っているそうだ。
公衆の面前をはばかることなく抱き合っている男女がいる一方で、結婚すらしようとしない若者がいる。そんな若者たちの行動を理解できずに、とまどっている親たちがいるのだ。
C 大都会の底辺を支える農民工
私が勤務する大学のキャンパスの奥は、黄浦江の支流である運河に面している。その運河に沿って、テニスやバスケットボールのコートがあり、私は授業前の早朝によくそこでテニスをしていた。テニスコートから眺めると、運河の対岸は工場地帯になっている。
12月の寒い朝だった。薄氷が点々と流れている運河に、艀がやってきて接岸した。するとモッコを担いだ労働者数人が船腹に満載した煉瓦を揚陸し、工場に運び込んだ。日本でなら、ベルトコンベアを使っているだろうに、ここ中国では未だに人力に頼っているのだ。
――山積みされたこれだけ多くの煉瓦を運び出すのに何時間かかるのだろうか? この苦役に従事している人夫たちは地方から出稼ぎにやってきた農民ではないだろうか? 安い賃金で雇われて。
そう考えたとき、私はふと江西師範大学のある学生の作文を思いだした。
――旅行で、深圳で働いている父に会いに行きました。ガソリンスタンドで洗車している父の手はかじかんでいて、寒そうでした。夜に父の宿舎へ行くと、一部屋に何人もの人がいて、ヘンな臭いがしました。父はこのような所で寝泊まりしながら、一生懸命に働き、私の学費を稼いでくれているのだと思いました。
この学生は、久しぶりで父に会った喜び、父の案内で観光をしたり、食事をしたりした楽しい思い出も綴っていた。だが、故郷を離れて出稼ぎに行っている父への切ない思いも感じられるのだ。
ところで、上海の常住人口は2,400万人だが、その3分の1が内陸部農村などからの出稼ぎ労働者で、農民工と呼ばれている。上海戸籍を持たない彼らは、住居など福利厚生面で市民とは差別されながら働き、故郷に仕送りをしているのだろう【注】。事情は、広州・杭州・深圳などの臨海大都市への出稼ぎ労働者でも同じだろう。東京より近代化され摩天楼が林立している上海の影の部分を垣間見た気がした。
早朝テニスで快い汗を流している私は、一休みしながら対岸を眺めた。モッコを担いで煉瓦を運ぶ労働者が依然黙々と働き続けている。彼らも汗を流しているのだろうが、その汗の意味があまりにも違う。摩天楼が林立している近代都市上海を底辺から支えているのが、あのような人々なのだろうが、一方、私は所詮、傍観者に過ぎない。
【注】農民戸籍と都市戸籍の差(都市と農村の格差拡大)
習近平の改革の重点とされている中国の戸籍制度は、そもそもどのようなものだろうか。また、なぜ改革は必要とされているのだろうか。
中国の戸籍制度の最大の特徴は、1958年以来、同制度によって国民が「農村戸籍」と「都市戸籍」の2種類に区別されており、この区分に基づき公共サービスなど社会での待遇も大きく異なる、ということだ。改革開放以前は、原則として都市・農村間の移動が制限されており、農村戸籍の人は農村に、都市戸籍の人は都市に住むという状況にあったため、その違いは現在ほど問題として顕在化しなかったとみられる。これが、改革開放後に国内での移動が自由となり、農村戸籍でありながら都市に出て働く「農民工」が増加するにつれて、都市における両者間の待遇の格差が目立つようになってきたのだ。
具体的には、子供の教育、社会保障、就業といった面での格差が指摘できる。例えば教育については、農民工が働きに出た先で自分の子供をその都市の学校に通わせようとした場合、その都市の戸籍を持つ住民であれば無料で受けられる義務教育であっても、高額の費用を負担しなければならないなどの条件が存在し、質の劣る民営の学校に通わざるを得ないといったケースがある。
また、社会保障については、都市戸籍保有者向けに提供されている制度と農民(農民工を含む)向けに提供されている制度との間で、給付水準などの面での差が大きい。
このほか就業に際しても、高等教育を受けているなど一部の例外を除き、農村戸籍保有者という理由で農民工に対する差別意識などが存在し、3K(きつい、汚い、危険)の仕事に就かざるを得ないことが少なくないとされる。
このように農民工は、農村ではなく都市に暮らし、農業ではなく非農業(製造業やサービス業)に携わっているという点で、基本的に他の都市住民と同じ状況にあるにもかかわらず、差別的待遇を受けている。そして、この不利な条件が農民工の都市定住を妨げ、就業機会の格差、ひいては収入格差を生み出す要因となっているのだ。
(週刊エコノミスト 2014年9月17日 墜ちる中国 pp36-37 三浦祐介 より一部引用)
(森野注)最近、人の自由な移動を認めるべきだとする主張が広まり、農村戸籍者の小都市への正式移住を認める改革や、「都市戸籍」と「農村戸籍」の区別をなくする動きも一部で見られるようになった。