杜牧の詩「泊秦淮」で知られる「秦淮河」
孫文の墓がある中山陵
日本軍の南京攻略のときにできた弾痕
孫文の肖像
今回の南京旅行ではお目当ての「南京大虐殺記念館」が改修工事のために、見ることができなかった。それは、後年再訪することで実現したが、南京には別にもう一度行ったことがある。
それは、無錫の日本語研究会で知り合った南京師範大学の島本雅文先生(現在の所属不明)のお招きによる。島本先生は、教育にIT技術を導入することに熱心で、日本の大学の学生とSkype通信で交流する実験をするので、見学にきなさいと招待された。Skypeはテレビ電話のようなもので、しかも全世界の相手と無料で交信できるIT技術として普及している。
「辛亥革命」で中国を近代国家にした孫文の「中山陵」。彼は大陸・台湾共に「国父」として尊敬されている。彼の号「孫中山」にちなむ「中山路」「中山公園」が中国各都市にある。彼の革命の志は、反動家袁世凱によって頓挫したが、その後、蒋介石をへて最後に毛沢東による共産主義革命によって完成した。なお、孫文は一時日本に亡命しており、孫文の革命活動には日本人も支援したと言われている。
この塔のある寺は中山陵の隣りにある
南京駅前の「玄武湖」
左から佐々木、大川、島本の三先生
この機会に大川豊先生(現在蘭州大学を経て帰国)と浙江省の大学勤務の佐々木秀夫先生(現在日本の大学)とも知り合いになった。大川先生とは現在もメールでしばしばお付き合いをしている。