4 ノスタルジック大連

戦前の古き名所地図

 「アカシアの大連」でも紹介した戦前の古きよき時代の名所がほかにもある。それらを紹介する。

 

旧大広場(現中山広場)

大連市の旧名「大広場」

 上の写真はウイキペディアより 

 日本の租借時代に大連市の中心地であり、かつて『大広場』と呼ばれていたところは、戦後『中山広場』と改名されたが、現在でも依然大連市の中心地である。大広場とその周辺に現在も残っている建築物が上の写真である。この大広場を中心に主要幹線道路が放射線状に周辺に伸びているのは今と変わりがない。当時、大広場を取り囲んでいた立派な石造建築物は現在でも、ホテルや銀行として使われている。私はトラベラーズチェックを中国元に換金するときには、大連交通大学からバスで30分のところにある中山広場の『中国銀行遼寧分行』へ行った。

 上海のように地下鉄が10本も走っている巨大都市と比べると、程よくこぢんまりとしている大連の地方都市の佇まいが、私は好きだ(大連でも下鉄の工事中で2015年開通)。

 

ロシア人街                 

 

 大連駅の近く(東北側)にロシア風情街がある。

ロシア人街

 ロシア風情街に入ると一本の道路が奥まで続き、道の両側にロシア風の邸宅が建ち並び、土産物屋やホテルになっている。道の奥には宮殿風の立派な建物があったが、外壁は修復がなされておらず廃屋のようになっていた(下の写真)。

 ここで、行き止まりで、私は元来た道を引き返した。「ロシア風情街」には観光客がまばらで、あまり注目されている観光地には見えなかった。

大連名物マトリョーシカ人形

 土産物のひとつが、右のようなマトリョーシカと呼ばれるこけし風人形だった。

 

 

南山日本風情街

南山日本風情街にイチョウが舞う

  大連の秋が深まって、毛糸のセーターを羽織るほど寒くなってきた頃、”南山路”に行ってきた。この辺りは第二次世界大戦以前には、満鉄社員などたくさんの日本人が住んでおり、現在は通りの一部が ”南山旅行風景街” と呼ばれている。往時の住宅は取り壊されて新しい建物に変わっている(おそらく、大連の富裕層の人々が住んでいるのだろう)。

 道の両脇の銀杏並木は色づいていた。二週間後に再訪して、近くの喫茶店にでも入って錦秋を眺めてみたい。おそらく、風が吹くたびに、黄色い木の葉がひらひらと舞い降り、路上にはまるで黄色い絨毯が敷きつめられているような光景が・・・・(上右下の図はそんな光景を想像して作成した)。

 このような風景を想像すると、わたしは、古都 ”京都” を思い出す。寺院のいたる処で、紅と黄色の木の葉が美しく色づいていることだろう。

 

旧満鉄本社

旧満鉄本社

新しい大連

大連ハイテクゾーン

 大連には昔から市内をはしる路面電車があった。現在は西南方向に路線が拡張されて、電車も近代的な車体に変わっている。また、西南地区にはハイテクゾーンと呼ばれるIT産業の基地が建設されており、日本や欧米の有名な大企業が進出している。大連といえば、”アカシヤの大連” といったエキゾチックな北国の街というイメージが日本人にはあるが、新旧とりまぜた近代的な都市に変貌しているようだ。

 

戻るーー> 次へーー>