過酷さ増す中国の大学入試

南雲智 著  中日新聞 2013年12月12日夕刊より

 

 中国の「科挙」は世に埋もれている有能な人材を発掘、登用する試験制度として随代に始まり、1904年の清朝末期までのおおよそ千三百年間行われていた。たとえ身分卑しい者でも名もなき貧しい者でも、能力さえあれば大臣にもなれるというのだから競争は熾烈を極めた。生半可な受験では追いつかず、一生を受験勉強にかけた者もいた。

 ところで中国では大学進学希望者は6月に全国一斉に実施される統一入学試験を受験しなければならない。日本のセンター試験と違って大学が独自に行う入試は例外的少数で、自分の希望に関わりなく成績によって大学が割り当てられる仕組みである(注)。ここ数年は一千万人前後が受験し、どの大学でも構わなければ競争率は二倍程度だが、まずそのような受験生はいない。一流大学へ入学できなければ人生の“勝ち組”になるのは難しいからで、おのずと難関校の競争率は10~20倍前後に跳ね上がり、猛烈な受験勉強を覚悟しなければならない。

 

(森野注):ここの記述は正確さに欠けている。私が江西師範大出身の教え子(Aさん)に確認したことを補足して紹介する。統一入学試験後、受験生はインターネットで自分の希望大学を第一志望から第三志望まで選ぶことが出来る。Aさんは、自分の試験結果(点数)を予測して、第一志望校を江西師範大学にし、希望どおりに入学できたとのことであった。

 

 こうした受験生の負担を軽減する入試の多様化、自由化が一部の省や大学で試みられ始めているが、現状の大幅な改善には至っていない。それどころか最近、この「全国大学統一入学試験」が受験に至るまでの過酷さとその結果の厳しさから「科挙」に似ている。そしてこの入試に絡んだ“呆れた現象”も増加している。

 その代表例は手を変え品を変えた不正受験、入学だがこれは枚挙にいとまがないので措くとして、例えば受験生の親たちの過剰反応である。夜、周囲の蛙の鳴き声が受験中の子供の妨げになるからと、蛙をすべて毒殺してしまった親や、試験会場周辺の車の騒音が受験中の子供の集中力を阻害する恐れがあるからと、受験生の保護者たちが人間の壁を作って、白昼堂々と車の通過を遮断してしまったなどという笑うに笑えない行為は、受験の過酷さが保護者たちまでに及んでいるのを教えている。

また今年の統一試験を控えたある高校の教室には「全国統一入学試験以外に君が富二代に勝てる道はあるのか」という檄文が張り出され、受験生の奮起を促したというのである。「富二代」とは「権力者あるいは大金持ちの二代目」という意味で、能力さえあれば誰もが大臣にもなれるという「科挙」の趣旨と確かに似てきている社会状況がこうした檄文となったに違いない。

 今や権力者や大金持ちたちの「俺が法律だ」といった強弁が通用する社会となっている中国だけに、一般庶民の子弟が出世のチャンスを自力で掴める数少ない合法的手段がこの統一入学試験と言える。しかしこの試練に勝利したとしても、勝ち組が保証されるわけではない。なぜなら大学合格者の4年後に待ち受けているのは日本のそれとは比較にもならないほどの厳しい就職難だからである。超一流大学の北京大学や清華大学卒業生ですらその例に漏れない。卒業=失業という現実は「科挙」時代が合格=官僚身分の確定であっただけに、なおいっそう厳しいとも言える。しかも官僚や有産者たち特権階層との著しい不平等と格差、さらには言論の自由が保障されていない現実が横たわる。

 

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 ひるがえってこうした中国の受験事情や社会情勢を日本の受験生や大学生は対岸の火事とのんびり構えているわけにはいかない。自国の厳しい社会情勢、就職状況を知る中国の若者は自分の力を認めるならと国外の大学院や企業へ入ることにほとんど躊躇しないからである。しかも日本政府や企業は最近、優秀なアジア圏留学生の引き留めに積極的になっている。また中国の看護系の大学では特別に日本語教育をした学生を卒業と同時に日本へ看護師として送り込み、大いに受け入れられているというニュースは記憶に新しい。

 日本のグローバル化が大学や大学院入学、さらには就職戦線に顕在化させてきたのは、優秀な若者ならば日本人でなくてもよいという認識である。どうやら日本の若者にとってはもはやライバルは日本人だけではないという危機意識を持つ時に至っているようだ。

 

(筆者:なぐも・さとる=大妻女子大国際センター・キャリア教育センター所長) 

  皇帝臨席の下で殿試が行われる
  皇帝臨席の下で殿試が行われる

 

【参考資料】科挙とは

 旧中国で行われた官吏登用のための資格試験。

県試→府試→院試→歳試と段階をふんで「郷試」(解試、地方で行われる、競争率100倍)――>「省試」(会試、都で行われ、競争率30倍)――>「殿試」(宋代から正式に始まり皇帝臨席で実施され、最高成績者は「状元」と呼ばれる)。

科挙試験で不正が発覚すれば死刑を含む重刑が科せられるにもかかわらず、さまざまな手段を駆使して不正合格を試みる者が後を絶たなかった。とすれば、試験におけるカンニングは中国の伝統か?

なお、日本では、正岡子規が東大予備門の英語の試験で、夏目漱石が学生時代に数学の試験で、石川啄木が旧制中学時代にカンニングをしたことが知られている。

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