4 スピーチコンテストの公明正大さ

スピーチコンテストにおける審査委員にどのような立場の、どのような経歴・見識の人が就くのかは、スピーチコンテストの公正さのみならず、大会の信頼性を担保するためにも重要である。

江鈴杯の事務局を永年担当し、この大会の運営に情熱を傾けているある大学日本語科のTという中国人の教師がいる。私は彼の江鈴杯への貢献度を高く評価しているのだが、彼(あるいは彼の所属する大学の外国語学院)を嫌って、この大会に参加しない大学があった。恐らく主導権争いのもつれによるものだろう。江鈴杯への参加を拒否している大学とは南昌大学で、江西省随一の名門校である。したがって参加しないことは、大会の権威に幾分水を差していることは否めない。

不正行為をする中国人教師

江鈴杯の審査委員は、各大学日本語科の日本人教師が担当していた。それは、中国人教師が自校の学生に有利になるような胡散臭い(つまり不正)行為をT先生が嫌っていたかららしい。

中国人自身が中国人教師に対してこのような不信感を抱いていることは注目すべきことである。大学日本語科の中国人教育者が各地のスピーチコンテストの大会で教師にあるまじき不正行為を働いているという噂は、私もよく耳にすることである。

 

私にとって一番ショッキングだったのは、ある年の中華杯全国日本語スピーチコンテスト地区大会に出場しようとしている、かつての教え子からのメールであった。

――大会直前の授業で、日本人の教師が、「この地区大会の優勝者はもう決まっています。君たちはいくら頑張っても、優勝できません」っていうのです。わたし、もう出場する意欲がなくなってしまいました。こんなひどいことがあっていいのでしょうか。

私の後継者であるこの日本人教師が、どういうつもりでこんなことを言ったのかがわからない。少なくとも、大会出場に意欲を燃やしている学生にいうべき言葉ではないだろう。また、彼が如何なる根拠に基づいて“談合”ともいえる不正行為を学生に暴いたのだろうか。この日本人は中国教育界の裏情報に詳しいらしく、名門校同士が結託して、年ごとに優勝者のたらい回しをしているということらしい。が、私はその確たる証拠を知る由もない。

類似の噂は、中国の他大学にいる友人の日本語教師からも聞いたことがある。中華杯全国日本語スピーチコンテストの地区予選大会で、開催校の出場者に有利となるような談合がなされた疑いが濃い、といっていた。が、別の年には比較的フェアな審査がなされていたとも言っている。

私は江西師範大在籍中に一度だけ、中華杯全国日本語スピーチコンテスト地区大会で審査委員を担当した経験がある。私の大学が所属するブロックは華東地区で、上海市・江蘇省(南京市など)・浙江省(杭州市など)の名門校がひしめく激戦区である。上海で開催された地区大会で私は前日と当日に数度開かれた審査委員会(十数名のメンバーの殆どが中国人)に出席したし、当日の審査まで大会の運営に関わった。スピーチコンテストに関わる胡散臭い噂を聞いていただけに、私は大会運営の様子を注意深く観察した。だが、私が知りうる限りでは、不正行為は無かったように思う。ちなみにこの時、主催校からは上位入賞者がでなかった。無錫の大学にいたときにも、『太湖杯スピーチコンテスト』で、私は審査委員を務めたが、この大会でも不正行為は無かった。

 

ただし以下のような経験をしている。

ある年に南昌大学主催のスピーチコンテストが開催された。江西省のスピーチコンテストとして定着している『江鈴杯』に対抗して、新たなコンテスト大会を組織しようとの意図があるのかとも思われたが、結局ただの一回の開催で立ち切れになった。しかも、12月の日本語能力検定一級試験という日本語科の学生にとって大切な試験に近い時期に開催されるのが不満であった。が、学生にできるだけ多くのチャンスを与えたいとの思いから、私と同僚の藤原先生は学生を参加させることにした。学内予選を終えて代表者の発表作文も完成し、あとは大会の発表を待つだけとなった一週間前のことである。

藤原先生から私に電話が来て、主催校「南昌大学」から大会開催規定の変更を通知してきたというのである。

「今になって、急に個人戦から団体戦に変更するなんて非常識です」と藤原先生の言葉がささくれ立っている。「しかも、参加する他校になんの相談もなく、主催校だけで勝手に決めているのですよ! 私は納得できないので、我が校は参加を取りやめるべきだと思います」

藤原先生は憤懣やるかたなしといった感じであった。真実一路で生きているこのクリスチャン先生としては、断じて許し難いことなのだろう。

私は、これまで発表作文の指導をしてきた学生の顔を思い浮かべ、ちょっと気の毒には思ったが、この際筋は通すべきだと考えて、藤原先生の大会ボイコットに賛成した。師範大日本語科においては、スピーチコンテストに関する限り、日本人教師の発言力が大きい(これ以外は蚊帳の外)。結局、日本語科として正式に不参加を決定した。

一週間後の土曜日に南昌大学で開催された大会で、団体優勝その他全ての賞を南昌大学が独占した。

南昌大学の裏情報に明るいある友人は、皮肉な笑みを浮かべてこう推察した。

「日本語科の教務主任は今頃、学部長など大学のお歴々に大会の成功と自校の学生の大活躍を鼻高々で報告したに違いない。そして、よくやった、と上司からお褒めの言葉をいただいたことでしょう」

私は江西師範大がもし出場したら優勝しただろうというつもりは無い。また、南昌大学の行為が我が校を排除するための意図的なものだというつもりも無い。おそらく、南昌大は大会中に自校に有利になるような不正行為をはたらいてはいなかっただろうと思う。この大学には優秀な学生がいるのだから。

藤原先生と私が最も不満に思っているのは、中国的この杜撰さ、無神経さなのだ。

しかし、私が冷静になって考えたとき、あまり日本人的潔癖主義に拘っては、中国では生きて行けないし、得になることは何も無いということなのだ。藤原先生と私が粋がって、大会をボイコットしたところで、そこから何かを感じ、反省する中国人が一人でもいただろうか? おそらく、南昌大学の連中は “蛙の面にショーベン”と受け流しているだけだろう。

――結局我々がやったことは、大会出場を目指して懸命に努力している学生から発表のチャンスを取り上げただけのことなのだ。

私はそう思わざるを得なかった。

 

話を戻して、江鈴杯の大会事務局のT先生は、各大学の日本人教師を審査委員に任命した。が、これでも日本人教師は自分の教え子が発表するので、そこに情実が入り込む余地がでてくるのだ。学生が発表しているときはその学校の日本人教師が評定に加わらないようなやり方もあるにはあるが、T先生はそれにも満足しなかった。

その結果、『江鈴杯』からは、大学の日本人教師も排除し、日中友好協会関係者、江西省政府の担当官、企業関係者のような、出場者とは全く無関係の第三者を審査委員として採用したのだ。

 しかし、ここで日本人教師からの不満が生じたことも事実である。確かに第三者なら、情実に絡んだ恣意的な要素が排除できて公平性が担保されることは最大の利点である。だが一方で、学生の作文指導や発表の指導を全く経験していない、いわゆる素人さんを起用すると、発表者を的確に評価できるだろうかという疑問が湧いてくるのだ。

しかし、T先生は、審査の公平性を最大限に優先させて審査委員を任命したのだから、その点は高く評価すべきだ。少なくとも、教え子の発表が審査委員から期待したほど高く評価されなかったとしても、彼らが厳正中立を守ってフェアな態度で評価した結果なら、甘んじて受け入れよう、と私は思う。

 

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