中国の行政区分(日中の「市」の比較)

 中国と日本の行政区分は以下の通りである。

 表1

中国

(地級市)

(又は県級市)

鎮・郷

日本国

町村

 

 

 なお、中国では、「市」であっても、格の違いがある。北京市、上海市、天津市、重慶市の四大都市は「4直轄市」と呼ばれて、省と同等の扱いを受けている。そして、その下に江西省なら南昌市、九江市、吉安市などの一般的市があって「地級市」と呼ばれる。

また、面白いことに、市の中にまた格下の市がある。たとえば、吉安市には「井岡山市」、九江市には「瑞昌市」のように。これらの格下の市は県と同等なので「県級市」と呼ばれている。井岡山市は観光地としても知られ、大学まであるので、県以上の文化的・経済的価値があるというので市に格上げされたのかもしれない。

 

 さて、中国は日本と比較して、人口で10倍、面積で20倍以上の広大な国家なので、上の表の日中のそれぞれが対応していない。したがって、「市(city)」のイメージも、日本の市からの予測とはよほど違っている可能性がある。 

そこで、江西師範大学(南昌市)のある「江西省」について、吉安市を例にして、京都府や京都市と比較して検証してみよう。

 

図1  市について日中の比較

 図1には、吉安市と京都市および京都府を面積的に相対的に比較して示してある。

 吉安市は面積では京都市の31倍も、また京都府の6倍広い。更に人口では、京都市の3.2倍、京都府の1.8倍多い。

 Wikipedia(中華人民共和国の行政区分)に、以下の記述がある。

 ーー中国の市(地級市)は市と称するものの、都市部と周辺の農村部を含む比較的大きな行政単位である。人口や面積といった規模は、日本の市より県に近い。

 そこで、京都市に比較すべきものは、吉安市の中の都市部(人口密集地帯、市区<市轄区>)の方が実際的であろう。

 

表2 京都市、京都府を1とした場合の対応する比

 

人口(万人)

面積 (平方Km)

吉安市区

1000.7

 

1,382(1.7)

 

吉安市

 

467(1.8)

 

25,271(5.5)

京都市

147(1)

 

828(1)

 

京都府

 

264(1)

 

4,613(1)

 この結果より、吉安市区は面積では京都市の1.7倍、人口では0.7倍とほぼ拮抗していることが分かった。

 

図2 日本の府県と市に対する中国の市と市区比較 

 図2に、日本の4つの市と府県、中国の4つの市区と市を比較して示した。日本の市は中国の市区に、日本の府県は中国の市に概略対応しているように思われる。ただし、昆明市と市区のように面積、人口共に突出した場合があったが。

 

 以上、市に対する日中の比較をした。

 日本の市に対応する中国の市はかなり大きいことが明らかである。

 西安にいたとき、黄河の観光スポット「三門峡市」へ行ったことがある。駅に降り立った時の印象は、静かな田舎町といった程度であった。ところが、ホテルへ行くためにタクシーに乗ったとき、運転手が「三門峡市の人口は200万人以上だ」と言ったので、私は驚いた。日本有数の大都市京都市よりも多いのだから。

 しかし、ここでの考察より、三門峡市は市区の人口は少ない(おそらく数十万人程度だろう)が、域内の農村地帯や小都市を加えると市としては200万人を越える人口なのだと納得できるのだ。

 

 さて、ここで中国の行政区分を調べることになったスタート地点に戻ろう。私と「文天祥記念館」へ同行してくれた陳春艶さんと李好さんは、共に吉安市出身なのに、未だ市中央部(市区)へは行ったことがないという。二人の出身県を図3に示した。

 

図3 陳&李両嬢の出身県 

 二人の故郷から吉安市区まではバスに揺られて数時間かかるという。

 この事情を私は京都府下舞鶴市の子供が、京都市へ行ったことがないような場合と同じだろうと考えた。交通機関が発達し豊かになった現代日本ではあり得ないことかもしれないが、半世紀も前なら大いにあり得ることではないか。

 沿海地方と比べて経済的発展が遅れている江西省に在って、地方都市吉安市の中の田舎町に住んでいる陳&李両嬢は、吉安市民ではあるが、市中央部へ行ったことがないのは不思議なことではないのだ。

 だから、吉安市区へ行って、豪華なホテルにも一泊できたので、二人が大喜びであったことは言うまでもない。そして、私も二人の案内で念願の「文天祥記念館」を訪問できたのだから、満足した。

 

 最後に、吉安市民陳さんと李さんの名誉のために以下を付記する。

 吉安市はかつて偉大な文天祥を生んだ。彼は20歳で科挙に合格した(しかも「状元」といって皇帝による最高の評価を受けた)ほどの秀才であった。吉安市は教育熱心な所で、明時代には中国で最も多数の状元を輩出している。また、文天祥と同時代人「曽先之」も同郷である。彼は「十八史略」でおなじみの歴史書を書いた。正史の要約のような子供向けの読み物なので中国ではあまり評価されていないが、異民族の「元王朝」の圧政下で、虐げられていた南方漢民族に誇りを持たそうという憂国的熱情でこの書を書いたのだ。このように吉安は歴史的文化的に高い評価を受けるべき都市であり、我が中国での思い出に欠くことができない土地のひとつである。 

 

ここでのデータは「中華人民共和国の行政区分」や各都市の情報(Wikipedia)を参考にした。

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