文天祥の残した名文 (右)敵軍から脱出して皇帝の居処を目指して馳せ参じたときの詩。(左)「正気の歌(せいきのうた)」は、フビライから「元に仕えよ」との勧めに節を曲げずに死を覚悟したときに、牢獄中で認めた詩。文天祥こそ日本の幕末の志士「吉田松陰」などに影響を与えた偉大なる愛国者である。
師範大学で一年生の会話授業を担当しているときに、いつも前列左に仲良く並んで座っている陳春艶さんと李好さんという女学生がいた(陳&黄の一年後輩)。二人が「吉安市」出身であることを知って、私は「文天祥記念館」の案内を頼んだ。ところが、二人の居住地は、吉安市中央部(市区)からバスで数時間も離れており、一度も吉安市区へ行ったことがないという。結局、我々は汽車で吉安市へ行き、ホテルに一泊して、翌日「文天祥記念館」を訪ねることになった。このことより市(city)の概念が日中で大きく異なることがわかった。
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