5 漢詩の世界、四方山話

A 現地に住んで深まる漢詩の理解

  昔、NHKのシリーズ番組『シルクロード』で、作家の陳瞬臣氏が、咸陽市(唐時代には渭城と呼ばれる)の渭水の畔に立ち、王維の名詩を解説している場面があった。

 

送元二使安西 王維 元二の安西に使するを送る
渭城朝雨潤輕塵  の朝雨輕をうるおし
客舎青青柳色新   
客舎青青柳色新たなり

勧君更盡一杯酒  君に勧む更に尽くせよ一杯の酒

西出陽關無故人  西のかた陽関を出ずれば故人無からん

 

唐の時代、都人は西へ旅する親戚・友人と郊外の渭城まで同行し、そこで別れる習慣になっていた。王維は友人の送別を上の詩で描いている。

ところで、日本の子供は太陽を描くときには、真っ赤な色にする(日の丸のように)。しかし、沙漠民の子供なら、太陽を黄色に塗りつぶすそうである。これは、気象条件の違いによるらしく、子供は見たとおりに描くか、あるいはその民族の太陽に対する固定観念の影響でそうするのだろう。

私が中国での最初の赴任地西安市に来て気付いたことは、晴天にも関わらず、空がぼんやりと霞んでいて、太陽が黄色に見えることだった。それは、中国の他の都市でもあるような、公害による大気汚染によるものかも知れないと初めは思っていた。

あるとき、中国語と日本語を教え合っている劉トンが、彼女の大学西安音楽院の民族楽器の演奏会に連れて行ってくれた。

演奏会が終わり、近くの公園に行った。雨上がりで霧がたちこめているような夜の静寂のなかを二人は散歩した。公園の街灯が点っているあたりだけ霧がくっきりと浮かび上がっているのが見えた。先ほどの古典楽器の優雅な演奏会の余韻と共に、心が昂ってきて、私は思わず叫んだ。

「ロマンチックだね」

「先生、あれはゴミですよ」と劉がいった。

「えっ・・・・・・?」

 疑似恋人同士の気分に浸りたいと思っている私の高揚感を、彼女はつれなくも引きずり落としてしまった。しばらく考えていた私はようやくその意味を理解した。日本語を私から習って間もない語彙不足の彼女は、それが霧ではなくて『砂塵』が舞っているのだと言いたいのだ。

砂塵による西安の曇り空

   西安市の生活に慣れてくるに従って、私はこの土地の気候風土への理解が深まった。西安市は黄土地帯の南東部に隣接しているので黄砂が舞っている。また、遠くのタクラマカン沙漠からはるばる砂塵が飛来しているのだ。だから、我が教師宿舎の窓辺にはいくら掃除してもうっすらと細かい砂塵が溜まる。キャンパス内の樹々は砂塵に覆われて土気色になるので、ときどき散水車が水をかけて樹々の緑を蘇らさなければならないのだ。そして、風の強く吹く日には、空は晴れていても曇り空のように、太陽は黄色く見えるのだ。西安市はこんな気候の土地なので、呼吸器系に欠陥のある人には住みにくいとも言われている。

 

王維の詩は、送別の詩として日本にもよく知られているが、それは第三、四句に端的に表現されている。それと比べると、第一、二句は単なる場の設定と情景描写に過ぎない。私は日本にいたときにはそう思っていた。が、第一、二句にこの土地の気候風土が見事に織り込まれていることが分かり、私はこの漢詩がますます好きになった。 

 

B 文化の粋を教える教育の日中差

中国語家庭教師の黄誉婷とサイクリングを兼ねて、都心のスーパーへ買い物に行ったときのことである。とある、街角で自動車修理工場の看板が目にとまった。『○○姑蘇修理○○』とあった。

 私は指差していった。

「あの店の名前は、張継の楓橋夜泊にある名前と同じだね」

 すると彼女は直ちに楓橋夜泊を中国語で諳んじた。姑蘇とは蘇州の古名である。

 この詩は日本人も大好きだ。私も負けずに日本式で詠ったが、途中で間違えてしまって、悔しい思いをした。

 

楓橋夜泊 張継                

 

月落烏啼霜満天 月落ち烏啼きて霜天に満つ     

江楓漁火対愁眠 江楓漁火愁眠に対す 

姑蘇城外寒山寺 姑蘇(こそ)城外の寒山寺 

夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声客船に到る 

 

 黄に限らず、なぜ中国人の学生は日本人が知っている漢詩なら、たいていスラスラと暗誦できるのだろうか? それは政府教育部が、漢詩を世界に誇るべき中国文化の粋であると位置づけて、小学生のときに徹底的に覚えさせる方針を採っているからである。おそらく、家庭で方言しか話さなかった子供を、小学校で共通語(普通話)を覚えさせる国家政策の一部ともなっているのだろう。

 

 一方、日本の学校教育で和歌を小学生に教えるようなことはないし、せいぜい高校の古文の授業の中に出てくる程度である。私は古文が大嫌いだったし、大学受験にも役立ちそうにないので和歌には無関心だった。

 大学生のときには、教養として『唐詩選』くらい読んだ記憶がある。理科系学部の私でもそうなのに、一方、中国では日本語科の学生でも日本の和歌を趣味として勉強するようなことは殆どあり得ない。だから、詩については、かなり偏った一方通行の文化交流であると言えるだろう。

 ところで、日本の小学生に和歌を覚えさせるような教育が全くないかというと、例外はある。じつは、私の孫が通っている京都の某女子大の付属小学校では、学年が進むに従って少しずつ和歌を暗誦させているのだ。 

 小学校4年生の孫(2024年現在大学生になっている)は、百人一首の数首をすらすらと暗誦して見せたので、私は驚いた。その一首に、

――大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

があった。孫の世話を一手に引き受けている家内が我が事のように「どう、おじいさん。すごいでしょう!」と自慢たらしく言った。

 私は、子供のとき『おいちょかぶ』か『花札』をしながら、父が戯れ歌を歌ったことを、ふと思い出して、茶々をいれてやった。

「それの下の句にこんなのがあるのを知っているか。

    ~~まだ踏みも見ず オッカアのキン○マ」

 孫はその意味が分かったらしく、大笑いした。

「もっと、おもしろい和歌があるぞ」と私はインターネットで見つけた傑作替え歌も披露した。「ももひきや 古きふんどし 質に入れ 朝の寒さに ち○こプルプル」*

 ふと、向こうを見ると、娘がコワ~イ顔をしていた。

 ――おじいちゃん、そんな下品なことを孫に教えちゃダメ!

 とでも言いたいのだろう。

 

 

<参考資料>

*(本歌)百敷や 古き軒端の しのぶにも なおあまりある 昔なりけり

 

 

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